師導古典を学びたいすべての人に

顔氏家訓 / 終制

死者、人之常分、不可免也。吾年十九、值梁家喪亂、其間與白刃為伍者、亦常數輩、幸承餘福、得至於今。古人云:「五十不為夭。」吾已六十餘、故心坦然、不以殘年為念。先有風氣之疾、常疑奄然、聊書素懷、以為汝誡。

新字:死者、人之常分、不可免也。吾年十九、值梁家喪乱、其間与白刃為伍者、亦常数輩、幸承余福、得至於今。古人云:「五十不為夭。」吾已六十余、故心坦然、不以残年為念。先有風気之疾、常疑奄然、聊書素懐、以為汝誡。

書き下し

死は、人の常分なり。免るべからざるなり。吾年十九にして、梁家の喪乱に値う。其の間白刃と伍を為す者も、亦た常に数輩なり。幸いに余福を承け、今に至るを得たり。古人云う、「五十にして夭と為さず」と。吾已に六十余なり。故に心坦然として、残年を以て念と為さず。先に風気の疾有り、常に奄然たらんことを疑う。聊か素懐を書し、以て汝が誡めと為す。

現代語訳

死は人に共通の定めであり、免れることはできない。私は十九歳のとき、梁の家の戦乱に遭った。その間、白刃と隣り合わせになったことも常に何度かあった。幸いに先祖の余福を受けて、今日まで生きてこられた。昔の人は言った。「五十を過ぎれば早死にとはいわない」。私はすでに六十を過ぎている。だから心は平らかで、残りの年月を思い煩わない。以前から中風の気があり、いつ急に倒れるかと思っている。そこで日ごろの思いを少し書き記して、お前たちへの戒めとする。

解説

顔氏家訓の最終篇、自分の葬儀についての遺言の書き出しです。十九歳で戦乱に遭い、何度も刃と隣り合わせになった。それでも六十を過ぎた。だから残りの年月を惜しまない、と述べます。恐れがないのではなく、すでに何度も死の側にいたから落ち着いている、という筋道です。そして中風の気があるので、今のうちに書いておく。序致篇で「二十篇を残す」と書いた人が、最後に自分の死後の手配を書いて閉じる。書き始めと書き終わりが呼応しています。まだ言えるうちに書いておく、という判断がこの書全体を成り立たせています。

この章句が説くこと

死は人の常分なり白刃と伍を為す五十にして夭と為さず今のうちに書く

関連する章句

この一句を、あなたの毎日に。

古典の教えを、今の状況に当てはめて考えてみる——師導があなたの学びと選択を支えます。

師導で古典を学ぶ
いま登録すると、7日間すべての機能を無料でお試しいただけます。 無料ではじめる