顔氏家訓 / 名實
四海悠悠、皆慕名者、蓋因其情而致其善耳。抑又論之、祖考之嘉名美譽、亦子孫之冕服牆宇也、自古及今、獲其庇蔭者亦眾矣。夫修善立名者、亦猶築室樹果、生則獲其利、死則遺其澤。世之汲汲者、不達此意、若其與魂爽俱昇、松柏偕茂者、惑矣哉!
新字:四海悠悠、皆慕名者、蓋因其情而致其善耳。抑又論之、祖考之嘉名美誉、亦子孫之冕服牆宇也、自古及今、獲其庇蔭者亦眾矣。夫修善立名者、亦猶築室樹果、生則獲其利、死則遺其沢。世之汲汲者、不達此意、若其与魂爽倶昇、松柏偕茂者、惑矣哉!
書き下し
四海悠悠として、皆な名を慕う者なり。蓋し其の情に因りて其の善を致すのみ。抑ま又た之を論ずれば、祖考の嘉名美誉は、亦た子孫の冕服牆宇なり。古より今に及ぶまで、其の庇蔭を獲る者も亦た衆し。夫れ善を修め名を立つる者は、亦た猶お室を築き果を樹うるがごとし。生きては則ち其の利を獲、死しては則ち其の沢を遺す。世の汲汲たる者は、此の意に達せず。若し其れ魂爽と俱に昇り、松柏と偕に茂らんとするは、惑えるかな。
現代語訳
世の中は広く、みな名声を慕う者ばかりである。思うに、その心情に乗じて善を成させるだけのことである。さらに論じるなら、祖先の立派な名声と評判は、子孫にとっての礼服であり家の壁である。昔から今に至るまで、その庇護を受けた者もまた多い。善を修め名を立てるというのは、家を建て果樹を植えるようなものである。生きているうちはその利益を得られ、死んだ後にはその恵みを残す。世のあくせくしている者は、この意味が分かっていない。もし自分の魂と一緒に名声が天に昇り、松や柏と一緒に茂り続けると思っているなら、それは思い違いである。
解説
名声を、家と果樹にたとえた一段です。生きているうちは自分が使い、死んだ後は子孫が使う。祖先の名声は「子孫の冕服牆宇」——礼服であり家の壁だと言い切ります。つまり名声は個人の所有物ではなく、次の世代に引き継がれる資産です。だから名を立てることは利己的な行為ではない。最後の一句が効いています。名声が自分の魂と一緒に天に昇ると思っているなら間違いだ、と。名声は死後も地上に残り、残された人が使う。事業の信用も同じで、経営者個人の栄誉ではなく、後を継ぐ人が使う資産です。何を残すかを、次に使う人の視点から考えることになります。
この章句が説くこと
祖考の嘉名は子孫の冕服牆宇室を築き果を樹う死しては其の沢を遺す引き継がれる信用
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