顔氏家訓 / 音辭
河北切攻字為古琮、與工、公、功三字不同、殊為僻也。比世有人名暹、自稱為纖、名琨、自稱為袞、名洸、自稱為汪、名䋤、自稱為獡。非唯音韻舛錯、亦使其兒孫避諱紛紜矣。
新字:河北切攻字為古琮、与工、公、功三字不同、殊為僻也。比世有人名暹、自称為繊、名琨、自称為袞、名洸、自称為汪、名䋤、自称為獡。非唯音韻舛錯、亦使其児孫避諱紛紜矣。
書き下し
河北は攻の字を切して古琮と為し、工・公・功の三字と同じからず。殊に僻と為す。比世に人の暹と名づけて、自ら称して繊と為し、琨と名づけて、自ら称して袞と為し、洸と名づけて、自ら称して汪と為し、䋤と名づけて、自ら称して獡と為す有り。唯だ音韻の舛錯するのみに非ず、亦た其の児孫をして避諱紛紜たらしむ。
現代語訳
河北では「攻」の字の反切を古琮とし、「工」「公」「功」の三字と別にしている。まったくの偏りである。近ごろ、暹という名でありながら自分を「繊」と称し、琨という名でありながら「袞」と称し、洸という名でありながら「汪」と称し、䋤という名でありながら「獡」と称する人がいる。ただ音韻が食い違っているだけでなく、その子や孫に忌み名を避ける混乱をもたらすことになる。
解説
自分の名を、本来と違う音で名乗る人たちの話です。顔之推が挙げる害は二つ。一つは音韻の混乱。もう一つが実務的で、子孫が忌み名を避けるときに混乱する。本人が別の音で名乗っているので、どちらの音を避ければよいのか分からなくなります。自分一代の好みが、次の世代に判断のつかない課題を残す。風操篇の「子を名づくる者は、当に孫の地を為すべし」と同じ主題が、音の側から繰り返されています。自分の代の裁量で決めたことが、次の代に何を強いるか。
この章句が説くこと
攻を切して古琮と為す暹と名づけて繊と称す児孫をして避諱紛紜たらしむ次の代への負担
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