顔氏家訓 / 風操
劉縧、緩、綏、兄弟幷爲名器、其父名昭、一生不爲照字、惟依爾雅火旁作召耳。然凡文與正諱相犯、當自可避、其有同音異字、不可悉然。劉字之下、即有昭音。呂尙之兒、如不爲上、趙壹之子、儻不作一:便是下筆即妨、是書皆觸也。
新字:劉縧、緩、綏、兄弟幷為名器、其父名昭、一生不為照字、惟依爾雅火旁作召耳。然凡文与正諱相犯、当自可避、其有同音異字、不可悉然。劉字之下、即有昭音。呂尙之児、如不為上、趙壱之子、儻不作一:便是下筆即妨、是書皆触也。
書き下し
劉縧・緩・綏は、兄弟並びに名器と為る。其の父の名は昭なり。一生照の字を為らず、惟だ爾雅に依りて火旁に召を作すのみ。然れども凡そ文の正諱と相い犯すは、当に自ずから避くべし。其の同音異字有るは、悉くは然るべからず。劉の字の下には、即ち昭の音有り。呂尚の児、如し上と為さず、趙壹の子、儻し一と作さざれば、便ち是れ下筆すれば即ち妨ぎ、是の書は皆な触るるなり。
現代語訳
劉縧・劉緩・劉綏の兄弟は、そろって名の知られた人物であった。その父の名は昭であった。彼らは生涯「照」の字を書かず、ただ『爾雅』にならって火偏に召と書いただけである。しかし、およそ文中の字が正式な忌み名と重なるなら、当然避けるべきだが、同じ音で違う字まですべて避けるわけにはいかない。劉という字の中にも「昭」の音がある。呂尚の子が「上」の字を使わず、趙壹の子が「一」の字を書かないとしたら、筆を下ろすたびに支障が出て、どんな書き物も触れてしまうことになる。
解説
忌避のルールを、実行可能性という基準で検算した一段です。同じ字は避ける、これは筋が通る。しかし同音の字まで避けはじめると、自分の姓の中にすら音が含まれていて、書くこと自体ができなくなる。呂尚の子は「上」が書けず、趙壹の子は「一」が書けない。極端な例を代入して、規則が破綻する点を示す論法です。ルールを作るとき、その適用範囲を機械的に広げるとどこで破綻するかを、先に計算しておく。禁止事項や表現規制、コンプライアンスの規則で頻繁に起こることです。原則として正しくても、全面適用すると業務が止まる線がどこかにあります。
この章句が説くこと
劉縧兄弟同音異字下筆すれば即ち妨ぐルールの破綻点
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