顔氏家訓 / 音辭
古人云:「膏粱難整。」以其為驕奢自足、不能剋勵也。吾見王侯外戚、語多不正、亦由內染賤保傅、外無良師友故耳。梁世有一侯、嘗對元帝飲謔、自陳「癡鈍」、乃成「颸段」、元帝答之云:「颸異涼風、段非干木。」謂「郢州」為「永州」、元帝啟報簡文、簡文云:『庚辰吳入、遂成司隸。」如此之類、舉口皆然。元帝手教諸子侍讀、以此為誡。
新字:古人云:「膏粱難整。」以其為驕奢自足、不能剋勵也。吾見王侯外戚、語多不正、亦由内染賤保傅、外無良師友故耳。梁世有一侯、嘗対元帝飲謔、自陳「癡鈍」、乃成「颸段」、元帝答之云:「颸異涼風、段非干木。」謂「郢州」為「永州」、元帝啟報簡文、簡文云:『庚辰吳入、遂成司隸。」如此之類、舉口皆然。元帝手教諸子侍読、以此為誡。
書き下し
古人云う、「膏粱は整え難し」と。其の驕奢自足にして、剋励する能わざるを以てなり。吾王侯外戚を見るに、語多く正しからず。亦た内は賤しき保傅に染まり、外は良師友無きに由るが故なり。梁世に一侯有り。嘗て元帝に対して飲謔す。自ら「癡鈍」と陳ぶるに、乃ち「颸段」と成る。元帝之に答えて云う、「颸は涼風に異なり、段は干木に非ず」と。「郢州」を謂いて「永州」と為す。元帝簡文に啓報す。簡文云う、「庚辰に呉入り、遂に司隷と成る」と。此くの如きの類、口を挙ぐれば皆な然り。元帝手ずから諸子の侍読を教え、此を以て誡めと為す。
現代語訳
昔の人は言った。「良家の子は整えにくい」。驕り贅沢で自足しており、自分を励まし律することができないからである。私は王侯や外戚を見てきたが、言葉づかいの正しくない者が多い。これも内では身分の低い養育係に染まり、外に良い師や友がいないからである。梁の時代にある侯がいた。かつて元帝に対して酒を飲みながら戯れた。自分を「癡鈍」と言ったつもりが「颸段」になった。元帝はそれに答えて言った。「颸は涼風とは違うし、段は段干木ではない」。また「郢州」を「永州」と言った。元帝は簡文帝に報告した。簡文帝は言った。「庚辰に呉が入り、そのまま司隷になったわけか」。こういう例は、口を開けばみなそうであった。元帝は自分で子どもたちの侍読を教え、これを戒めとした。
解説
この章句が説くこと
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