顔氏家訓 / 勉學
元氏之世、在洛京時、有一才學重臣、新得史記音、而頗紕繆、誤反「顓頊」字、頊當為許錄反、錯作許緣反、遂謂朝士言:「從來謬音『專旭』、當音『專翾』耳。」此人先有高名、翕然信行、期年之後、更有碩儒、苦相究討、方知誤焉。
新字:元氏之世、在洛京時、有一才学重臣、新得史記音、而頗紕繆、誤反「顓頊」字、頊当為許録反、錯作許縁反、遂謂朝士言:「従来謬音『専旭』、当音『専翾』耳。」此人先有高名、翕然信行、期年之後、更有碩儒、苦相究討、方知誤焉。
書き下し
元氏の世、洛京に在りし時、一才学の重臣有り、新たに史記の音を得たり。而して頗る紕繆あり、誤りて「顓頊」の字を反す。頊は当に許録の反たるべきに、錯りて許縁の反と作す。遂に朝士に謂いて言う、「従来謬りて『専旭』と音す。当に『専翾』と音すべきのみ」と。此の人先に高名有り、翕然として信じ行わる。期年の後、更に碩儒有り、苦ろに相い究討し、方めて誤りを知れり。
現代語訳
北魏の時代、洛陽にいたとき、学識ある重臣がいて、新たに『史記』の音注を手に入れた。ところがそれにはかなりの誤りがあり、「顓頊」の字の反切を誤っていた。「頊」は許録の反であるべきなのに、誤って許縁の反としてあった。そこで朝廷の士人たちに言った。「これまで誤って『専旭』と読んでいた。『専翾』と読むべきである」。この人はもともと高い名声があったので、みなが一斉に信じて従った。一年後、別の大学者が丹念に調べ直して、ようやく誤りだと分かった。
解説
誤った情報が、発信者の名声によって一年間まかり通った話です。重臣は悪意なく、新しく手に入れた資料に従っただけでした。しかし高名だったために、誰も検証せずに従った。訂正されるまで一年かかり、しかも訂正したのは別の大学者が丹念に調べ直したからです。前の段の誤りは個人の恥で済みましたが、これは組織全体の慣行を書き換えました。権威ある人の発言が検証を素通りする現象は、どこにでもあります。役職が高いほど、その人の発言は検証されにくくなる。自分が高い位置にいるなら、自分の情報こそ確かめられる仕組みを作っておく必要があります。
この章句が説くこと
顓頊の反切先に高名有り翕然として信じ行わる権威と検証
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