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顔氏家訓 / 音辭

夫物體自有精麤、精麤謂之好惡、人心有所去取、去取謂之好惡。此音見於葛洪、徐邈。而河北學士讀尚書云好生惡殺。是為一論物體、一就人情、殊不通矣。

新字:夫物体自有精麤、精麤謂之好悪、人心有所去取、去取謂之好悪。此音見於葛洪、徐邈。而河北学士読尚書云好生悪殺。是為一論物体、一就人情、殊不通矣。

書き下し

夫れ物体は自ずから精麤有り。精麤は之を好悪と謂う。人心には去取する所有り。去取は之を好悪と謂う。此の音は葛洪・徐邈に見ゆ。而るに河北の学士は尚書を読みて好生悪殺と云う。是れ一は物体を論じ、一は人情に就く。殊に通ぜざるなり。

現代語訳

物にはもともと精粗の別がある。精粗を「好悪」という。人の心には取捨がある。取捨を「好悪」という。この読み分けは葛洪と徐邈に見える。ところが河北の学者は『書経』を読んで「好生悪殺」と言う。これでは一方は物の性質を論じ、一方は人の感情に基づくことになる。まったく筋が通らない。

解説

同じ「好悪」という二字が、物の性質を指す場合と、人の好みを指す場合で読み方が違う、という指摘です。前者は「こうお」で良し悪し、後者は「このむ・にくむ」。読み分けを失うと、物の客観的な性質を語っているのか、人の主観的な評価を語っているのかが混ざります。「好生悪殺」は生を好み殺を憎むという人の心の話なので、後者で読まねばならない。事実と評価の混同は、この読み分けの喪失から始まります。同じ言葉が、客観的な記述と主観的な評価の両方に使われていないか。用語の点検で見つかることがあります。

この章句が説くこと

精麤は之を好悪と謂う去取は之を好悪と謂う好生悪殺事実と評価

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