顔氏家訓 / 書證
自有訛謬、過成鄙俗、「亂」旁爲「舌」、「揖」下無「耳」、「黿」、「鼉」從「龜」、「奮」、「奪」從「雚」、「席」中加「帶」、「惡」上安「西」、「鼓」外設「皮」、「鑿」頭生「毁」、「離」則配「禹」、「壑」乃施「豁」、「巫」混「經」旁、「皋」分「澤」片、「獵」化爲「獦」、「寵」變成「(上穴下龍)」、「業」左益「片」、「靈」底著「器」、「率」字自有律音、強改爲別、「單」字自有善音、輒析成異:如此之類、不可不治。
新字:自有訛謬、過成鄙俗、「乱」旁為「舌」、「揖」下無「耳」、「黿」、「鼉」従「亀」、「奮」、「奪」従「雚」、「席」中加「帯」、「悪」上安「西」、「鼓」外設「皮」、「鑿」頭生「毁」、「離」則配「禹」、「壑」乃施「豁」、「巫」混「経」旁、「皋」分「沢」片、「猟」化為「獦」、「寵」変成「(上穴下竜)」、「業」左益「片」、「霊」底著「器」、「率」字自有律音、強改為別、「単」字自有善音、輒析成異:如此之類、不可不治。
書き下し
自ずから訛謬有りて、過ぎて鄙俗を成す。「乱」の傍らを「舌」と為し、「揖」の下に「耳」無く、「黿」「鼉」は「亀」に従い、「奮」「奪」は「雚」に従い、「席」の中に「帯」を加え、「悪」の上に「西」を安んじ、「鼓」の外に「皮」を設け、「鑿」の頭に「毀」を生じ、「離」は則ち「禹」を配し、「壑」は乃ち「豁」を施し、「巫」は「経」の傍らに混じり、「皋」は「沢」の片に分かれ、「猟」は化して「獦」と為り、「寵」は変じて「竉」と成り、「業」の左に「片」を益し、「霊」の底に「器」を著く。「率」の字は自ずから律の音有るに、強いて改めて別と為す。「単」の字は自ずから善の音有るに、輒ち析ちて異と成す。此くの如きの類は、治めざるべからず。
現代語訳
一方で、明らかな誤りがあって、行き過ぎて下品な形になっているものもある。「乱」の傍らを「舌」とし、「揖」の下に「耳」がなく、「黿」「鼉」を「亀」偏で書き、「奮」「奪」を「雚」で書き、「席」の中に「帯」を加え、「悪」の上に「西」を置き、「鼓」の外に「皮」を付け、「鑿」の頭に「毀」を生じさせ、「離」に「禹」を配し、「壑」に「豁」を当て、「巫」を「経」の偏に混ぜ、「皋」を「沢」の片方に分け、「猟」を「獦」に変え、「寵」を「竉」に変え、「業」の左に「片」を加え、「霊」の底に「器」を置く。「率」の字にはもともと律の音があるのに、無理に改めて別の字にする。「単」の字にはもともと善の音があるのに、すぐ分けて別の字にする。こうした類は、直さなければならない。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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孟子・離婁章句下孟子曰く、「言に實無きは不祥なり。不祥の實は、賢を蔽う者之に當る。」 <解説> この節は分かりにくい。朱注に云う、「或いは曰く、天下の言實に不祥なる者有る無し、惟れ賢を蔽い不祥の實を為すと、或いは曰く、言にして實無き者は不祥なり、故に賢を蔽い不祥の實を為す、二説同じからず、未だ孰れが是なるか知らず、疑うらくは或いは闕文有らん。」私は後説を採用し、かなり強引な解釈をした。やはり朱子の言うように闕分が有るのだろうか。
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孟子・離婁章句上孟子曰く、「下位に居りて、上に獲られざれば、民得て治む可からざるなり。上に獲らるるに道有り。友に信ぜられずんば、上に獲られず。友に信ぜらるるに道有り。親に事えて悅ばれずんば、友に信ぜられず。親に悅ばるるに道有り。身に反して誠ならずんば、親に悅ばれず。身を誠にするに道有り。善に明らかならずんば、其の身に誠ならず。是の故に誠は、天の道なり。誠を思うは、人の道なり。至誠にして動かざる者は、未だ之れ有らざるなり。誠ならずして、未だ能く動かす者有らざるなり。」
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