顔氏家訓 / 書證
或問曰:「何故名治獄參軍爲長流乎?」答曰:「帝王世紀云:『帝少昊崩、其神降於長流之山、於祀主秋。』案:周禮秋官、司寇主刑罰、長流之職、漢、魏捕賊掾耳。晉、宋以來、始爲參軍、上屬司寇、故取秋帝所居爲嘉名焉。」
新字:或問曰:「何故名治獄参軍為長流乎?」答曰:「帝王世紀云:『帝少昊崩、其神降於長流之山、於祀主秋。』案:周礼秋官、司寇主刑罰、長流之職、漢、魏捕賊掾耳。晉、宋以来、始為参軍、上属司寇、故取秋帝所居為嘉名焉。」
書き下し
或るひと問いて曰く、「何が故に治獄参軍を名づけて長流と為すや」と。答えて曰く、「帝王世紀に云う、『帝少昊崩じ、其の神長流の山に降る。祀において秋を主る』と。案ずるに周礼の秋官、司寇は刑罰を主る。長流の職は、漢・魏の捕賊掾なるのみ。晋・宋以来、始めて参軍と為り、上は司寇に属す。故に秋帝の居る所を取りて嘉名と為すなり」と。
現代語訳
ある人が問うた。「なぜ裁判を扱う参軍を長流と呼ぶのか」。答えて言った。「『帝王世紀』にいう。『少昊帝が崩じ、その神は長流の山に降った。祭祀では秋を司る』。調べてみると『周礼』の秋官では、司寇が刑罰を司る。長流という職は、漢・魏では捕賊掾にあたるだけであった。晋・宋以来、はじめて参軍となり、上は司寇に属した。だから秋を司る帝の居る所を取って、めでたい名としたのである」。
解説
役職名の由来を、神話と制度史の両方から解いた一段です。少昊帝の神が降りた山が長流山で、その帝は秋を司る。周礼では刑罰を秋官が担当する。だから刑罰を扱う職に「長流」の名が付いた。三つの層——神話、古典の官制、実際の職務の変遷——をつないでいます。役職名は、たいてい何かに由来しています。それが分かると、その職に何が期待されていたかも見えてくる。組織の部署名や役職名の由来を辿ると、設立当時に何を意図していたかが分かり、今の実態とのずれも見えます。
この章句が説くこと
治獄参軍を長流と名づく少昊の神長流の山に降る秋官司寇は刑罰を主る名の由来賞罰
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