顔氏家訓 / 書證
或問:「俗名傀儡子爲郭禿、有故實乎?」答曰:「風俗通云:『諸郭皆諱禿。』當是前代人有姓郭而病禿者、滑稽戲調、故後人爲其象、呼爲郭禿、猶文康象庾亮耳。」
新字:或問:「俗名傀儡子為郭禿、有故実乎?」答曰:「風俗通云:『諸郭皆諱禿。』当是前代人有姓郭而病禿者、滑稽戯調、故後人為其象、呼為郭禿、猶文康象庾亮耳。」
書き下し
或るひと問う、「俗に傀儡子を名づけて郭禿と為すは、故実有りや」と。答えて曰く、「風俗通に云う、『諸郭は皆な禿を諱む』と。当に是れ前代の人に郭を姓として禿を病む者有り、滑稽戯調せしならん。故に後人其の象を為り、呼びて郭禿と為す。猶お文康の庾亮に象るがごときのみ」と。
現代語訳
ある人が問うた。「世間で操り人形を郭禿と呼ぶのには、故事があるのか」。答えて言った。「『風俗通』にいう。『郭という姓の家はみな禿の字を忌み避ける』。おそらく前代に郭を姓として禿頭を病んだ人がいて、滑稽な芸をしたのであろう。だから後の人がその姿を人形に作り、郭禿と呼んだ。ちょうど文康という舞が庾亮の姿に似せたのと同じである」。
解説
操り人形の呼び名の由来を解いた一段です。手順は、まず郭姓の家が「禿」の字を避けるという記録を見つけ、そこから、禿頭の郭姓の人物が芸をしたのだろうと推定する。断定はせず「当に…ならん」と留保を付けています。そして同じ型の例——ある人物の姿に似せた舞——を挙げて、推定の妥当性を補強する。同じ構造の事例があれば、推定は蓋然性を持ちます。由来の分からない名称を調べるとき、直接の証拠がなくても、同じ型の事例を集めれば見当がつく。ただし断定はしない、という手続きです。
この章句が説くこと
傀儡子を郭禿と為す諸郭は皆な禿を諱む文康は庾亮に象る型による推定
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