顔氏家訓 / 書證
禮王制云:「臝股肱。」鄭注云:「謂揎衣出其臂脛。」今書皆作擐甲之擐。國子博士蕭該云:「擐當作揎、音宣、擐是穿著之名、非出臂之義。」案字林、蕭讀是、徐爰音患、非也。
新字:礼王制云:「臝股肱。」鄭注云:「謂揎衣出其臂脛。」今書皆作擐甲之擐。国子博士蕭該云:「擐当作揎、音宣、擐是穿著之名、非出臂之義。」案字林、蕭読是、徐爰音患、非也。
書き下し
礼の王制に云う、「股肱を臝にす」と。鄭注に云う、「衣を揎げて其の臂脛を出だすを謂う」と。今の書は皆な擐甲の擐に作る。国子博士の蕭該云う、「擐は当に揎に作るべし。音は宣。擐は是れ穿著の名にして、臂を出だすの義に非ず」と。字林を案ずるに、蕭の読み是なり。徐爰の音患は、非なり。
現代語訳
『礼記』王制篇にいう。「股と肱をあらわにする」。鄭玄の注にいう。「衣をまくり上げて腕と脛を出すことをいう」。今の本ではみな「擐甲」の「擐」と書く。国子博士の蕭該がいう。「擐は揎とすべきである。音は宣。擐は身に着けるという意味で、腕を出すという意味ではない」。『字林』で調べると、蕭該の読みが正しい。徐爰が音を患としているのは誤りである。
解説
字形の近い二字を、意味の方向で切り分けた例です。「擐」は身に着ける、「揎」はまくり上げる。腕を出すという文脈なら、着る意味の字は使えません。蕭該の指摘の要点は、字の意味が文脈と逆向きだということでした。そして顔之推は『字林』で裏を取り、別の学者の音注を誤りとします。似た形の語を取り違えると、意味が反対になることがあります。「着ける」と「まくる」、「与える」と「受ける」、「以上」と「以下」。文脈と方向が合っているかを確かめるだけで、多くの取り違えは見つかります。
この章句が説くこと
股肱を臝にす擐は穿著の名揎は衣を揎ぐ意味の方向
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