顔氏家訓 / 書證
晉中興書:「太山羊曼、常頽縱任俠、飲酒誕節、兗州號爲濌伯。」此字皆無音訓。梁孝元帝常謂吾曰:「由來不識。唯張簡憲見教、呼爲嚃羹之嚃。自爾便遵承之、亦不知所出。」簡憲是湘州刺史張纘謚也、江南號爲碩學。
新字:晋中興書:「太山羊曼、常頽縦任侠、飲酒誕節、兗州号為濌伯。」此字皆無音訓。梁孝元帝常謂吾曰:「由来不識。唯張簡憲見教、呼為嚃羹之嚃。自爾便遵承之、亦不知所出。」簡憲是湘州刺史張纘謚也、江南号為碩学。
書き下し
晋の中興書に、「太山の羊曼は、常に頽縦任侠にして、飲酒して節を誕にす。兗州は号して濌伯と為す」と。此の字は皆な音訓無し。梁の孝元帝常に吾に謂いて曰く、「由来識らず。唯だ張簡憲の教えを見るのみ。呼びて嚃羹の嚃と為す。爾より便ち之を遵承するも、亦た出づる所を知らず」と。簡憲は是れ湘州刺史張纘の謚なり。江南は号して碩学と為す。
現代語訳
『晋中興書』にいう。「太山の羊曼は、いつも自堕落で任侠を気取り、酒を飲んで節度を無視した。兗州の人は彼を『濌伯』と呼んだ」。この字にはどれも音も訓もない。梁の元帝がかつて私に言った。「以前から分からなかった。ただ張簡憲に教わっただけだ。羹をすする『嚃』と読むという。それ以来それに従っているが、出典は分からない」。簡憲は湘州刺史であった張纘の諡である。江南では大学者と呼ばれていた。
解説
皇帝が、自分の知識の出所と限界を明示している場面です。「由来識らず」——もともと分からなかった。「唯だ張簡憲の教えを見るのみ」——ある人に教わっただけ。「亦た出づる所を知らず」——その根拠も知らない。三段階に分けて、自分が知っていることの由来と不確かさを述べています。教わった読み方を使ってはいるが、それが正しいとは言っていない。知識を人に伝えるとき、それをどこで得たか、確かめたかどうかまで添えられるか。添えられていれば、受け取った側は自分で検証できます。
この章句が説くこと
濌伯由来識らず唯だ張簡憲の教えを見るのみ知識の由来学問謙虚
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