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顔氏家訓 / 書證

古樂府歌詞、先述三子、次及三婦、婦是對舅姑之稱。其末章云:「丈人且安坐、調弦未遽央。」古者、子婦供事舅姑、旦夕在側、與兒女無異、故有此言。丈人亦長老之目、今世俗猶呼其祖考爲先亡丈人。又疑「丈」當作「大」、北間風俗、婦呼舅爲大人公。「丈」之與「大」、易爲誤耳。近代文士、頗作三婦詩、乃爲匹嫡並耦己之群妻之意、又加鄭、衞之辭、大雅君子、何其謬乎?

新字:古楽府歌詞、先述三子、次及三婦、婦是対舅姑之称。其末章云:「丈人且安坐、調弦未遽央。」古者、子婦供事舅姑、旦夕在側、与児女無異、故有此言。丈人亦長老之目、今世俗猶呼其祖考為先亡丈人。又疑「丈」当作「大」、北間風俗、婦呼舅為大人公。「丈」之与「大」、易為誤耳。近代文士、頗作三婦詩、乃為匹嫡並耦己之群妻之意、又加鄭、衛之辞、大雅君子、何其謬乎?

書き下し

古楽府の歌詞は、先ず三子を述べ、次いで三婦に及ぶ。婦は是れ舅姑に対するの称なり。其の末章に云う、「丈人且く安坐せよ、弦を調ぶること未だ遽かに央きず」と。古者、子婦は舅姑に供事し、旦夕側に在り、児女と異なる無し。故に此の言有り。丈人も亦た長老の目なり。今の世俗は猶お其の祖考を呼びて先亡の丈人と為す。又た疑うらくは「丈」は当に「大」に作るべし。北間の風俗、婦は舅を呼びて大人公と為す。「丈」の「大」におけるは、誤りを為し易きのみ。近代の文士、頗る三婦の詩を作るに、乃ち匹嫡並耦の己が群妻の意と為し、又た鄭・衛の辞を加う。大雅の君子、何ぞ其れ謬れるや。

現代語訳

古い楽府の歌詞は、まず三人の子を述べ、次に三人の嫁に及ぶ。「婦」とは舅姑に対しての呼び名である。その最後の章にいう。「丈人よ、しばらくお座りください。弦を整えるのはまだ終わりません」。昔は嫁が舅姑に仕え、朝夕そばにいて、実の子と変わらなかった。だからこういう言葉がある。「丈人」もまた年長者を指す語である。今の世間でも祖父を「亡き丈人」と呼ぶ。また思うに「丈」は「大」とすべきかもしれない。北方の風俗では、嫁は舅を「大人公」と呼ぶ。「丈」と「大」は誤りやすい。近ごろの文人は三婦の詩をよく作るが、それを自分の複数の妻を並べた意味に取り、そのうえ艶っぽい言葉まで加えている。立派な君子が、なんと誤ったことか。

解説

古い歌の「三婦」が、三人の嫁を指すのか、複数の妻を指すのかという読み違えです。もとは息子たちとその嫁たちを並べた家族の歌でした。それを後の文人が、一人の男の複数の妻の話だと読み、艶っぽい詩を量産した。歌の設定が変われば、作られる作品の性格まで変わります。しかも「大雅の君子」——立派とされる人々がそれをやっている。古い作品を下敷きにするとき、その作品の設定を確かめずに雰囲気だけ借りると、まったく別のものを作ってしまう。過去の事例を参照するときも同じで、前提条件を確かめずに形だけ真似ると、意図と逆の結果になります。

この章句が説くこと

三婦は舅姑に対する称丈人は長老の目匹嫡並耦の意と為す前提の確認

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