顔氏家訓 / 書證
吾昔初看説文、蚩薄世字、從正則懼人不識、隨俗則意嫌其非、略是不得下筆也。所見漸廣、更知通變、救前之執、將欲半焉。若文章著述、猶擇微相影響者行之、官曹文書、世間尺牘、幸不違俗也。
新字:吾昔初看説文、蚩薄世字、従正則懼人不識、随俗則意嫌其非、略是不得下筆也。所見漸広、更知通変、救前之執、将欲半焉。若文章著述、猶択微相影響者行之、官曹文書、世間尺牘、幸不違俗也。
書き下し
吾昔初めて説文を看るに、世字を蚩薄す。正に従わば則ち人の識らざるを懼れ、俗に随わば則ち意に其の非なるを嫌う。略ぼ是れ筆を下すを得ざるなり。見る所漸く広くして、更に通変を知る。前の執を救うこと、将に半ばならんと欲す。若し文章著述ならば、猶お微しく相い影響する者を択びて之を行う。官曹の文書、世間の尺牘は、幸わくは俗に違わざれ。
現代語訳
私は昔はじめて『説文』を見たとき、世間の字を軽んじ蔑んだ。正しい字に従えば人が読めないことを恐れ、世間に合わせれば心の中でそれが誤りだと気になった。ほとんど筆を下ろせなかった。見聞が次第に広まるにつれて、変化に応じることを知るようになった。以前のかたくなさは、半分ほどは直った。文章を著述する場合なら、なお少しは影響を及ぼす字を選んで用いる。役所の文書や世間の手紙では、どうか世間の慣習に背かないようにせよ。
解説
書證篇全体の結びです。四十七段にわたって字の正誤を論じてきた人が、最後に自分の変化を語ります。正しさを知った当初は、正しく書けば読まれず、世間に合わせれば気になって、筆が下ろせなかった。見聞が広がるにつれて、変えてよいところと変えてはならないところが分かってきた。そして場面ごとに使い分けよと言う。著述では厳密に、役所の文書や手紙では世間に合わせよ。正しさを知った人が最後に到達するのは、場面に応じた使い分けです。知識を得た直後の潔癖さから、どうやって実用に着地するかの記録になっています。
この章句が説くこと
略ぼ是れ筆を下すを得ざるなり更に通変を知る官曹の文書世間の尺牘は俗に違わず使い分け
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