顔氏家訓 / 書證
漢書王莽贊云:「紫色蛙聲、餘分閏位。」蓋謂非玄黃之色、不中律呂之音也。近有學士、名問甚高、遂云:「王莽非直鳶髆虎視、而復紫色蛙聲。」亦爲誤矣。
新字:漢書王莽賛云:「紫色蛙声、余分閏位。」蓋謂非玄黄之色、不中律呂之音也。近有学士、名問甚高、遂云:「王莽非直鳶髆虎視、而復紫色蛙声。」亦為誤矣。
書き下し
漢書の王莽の賛に云う、「紫色蛙声、余分閏位」と。蓋し玄黄の色に非ず、律呂の音に中らざるを謂うなり。近ごろ学士有り、名問甚だ高し。遂に云う、「王莽は直だ鳶髆虎視なるのみに非ず、而も復た紫色蛙声なり」と。亦た誤りと為すなり。
現代語訳
『漢書』の王莽の賛にいう。「紫色蛙声、余分閏位」。これはつまり、正統な色ではなく、正統な音律にも合わないということを言っている。近ごろある学者がいて、名声はたいそう高かった。それでこう言った。「王莽はただ鳶のような肩に虎のような目つきだっただけではない。そのうえ紫色の顔で蛙のような声だったのだ」。これも誤りである。
解説
文章篇でも取り上げられた誤読が、書證篇でもう一度出てきます。「紫色蛙声」は、正統でない色と音、つまり偽物が本物を乱していることの比喩です。それを容貌の描写と読んだ。同じ誤りを二度取り上げているのは、顔之推がこの型を重く見ているからでしょう。比喩を実体として読む誤りは、しかも名声の高い学者が犯すと、そのまま広まります。抽象的な評価語を、具体的な事実として受け取ってしまう。報告書の「厳しい状況」「大きな成果」といった評価語を、具体的な数値のように扱っていないか。比喩と事実の境目は、意識しないと消えます。
この章句が説くこと
紫色蛙声余分閏位玄黄の色に非ず鳶髆虎視比喩と実体
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