顔氏家訓 / 勉學
漢書王莽贊云:「紫色蛙聲、餘分閏位。」謂以偽亂真耳。昔吾嘗共人談書、言及王莽形狀、有一俊士、自許史學、名價甚高、乃云:「王莽非直鴟目虎吻、亦紫色蛙聲。」又禮樂志云:「給太官挏馬酒。」李奇注:「以馬乳為酒也、揰挏乃成。」二字並從手。揰挏、此謂撞搗挺挏之、今為酪酒亦然。向學士又以為種桐時、太官釀馬酒乃熟。其孤陋遂至於此。太山羊肅、亦稱學問、讀潘岳賦:「周文弱枝之棗」、為杖策之杖、世本:「容成造曆。」以曆為碓磨之磨。
新字:漢書王莽賛云:「紫色蛙声、余分閏位。」謂以偽乱真耳。昔吾嘗共人談書、言及王莽形状、有一俊士、自許史学、名価甚高、乃云:「王莽非直鴟目虎吻、亦紫色蛙声。」又礼楽志云:「給太官挏馬酒。」李奇注:「以馬乳為酒也、揰挏乃成。」二字並従手。揰挏、此謂撞搗挺挏之、今為酪酒亦然。向学士又以為種桐時、太官醸馬酒乃熟。其孤陋遂至於此。太山羊粛、亦称学問、読潘岳賦:「周文弱枝之棗」、為杖策之杖、世本:「容成造暦。」以暦為碓磨之磨。
書き下し
漢書の王莽の賛に云う、「紫色蛙声、余分閏位」と。偽を以て真を乱すを謂うのみ。昔吾嘗て人と共に書を談じ、王莽の形状に言い及ぶ。一俊士有り、自ら史学を許し、名価甚だ高し。乃ち云う、「王莽は直だ鴟目虎吻なるのみに非ず、亦た紫色蛙声なり」と。又た礼楽志に云う、「太官に挏馬酒を給す」と。李奇の注に、「馬乳を以て酒と為すなり。揰挏して乃ち成る」と。二字並びに手に従う。揰挏とは、此れ撞き搗き挺き挏くを謂うなり。今酪酒を為るも亦た然り。向の学士は又た以為えらく、桐を種うる時、太官の醸せる馬酒乃ち熟すと。其の孤陋遂に此に至る。太山の羊粛も、亦た学問と称せらる。潘岳の賦「周文弱枝の棗」を読みて、杖策の杖と為す。世本の「容成、暦を造る」を、暦を以て碓磨の磨と為せり。
現代語訳
『漢書』の王莽の賛にいう。「紫色蛙声、余分閏位」。これは偽物が本物を乱していることをいうだけである。昔、私はある人と書物について話し、王莽の容貌に話が及んだ。ある優秀な士がいて、自ら史学の専門家をもって任じ、名声もたいそう高かった。彼はこう言った。「王莽はただ鴟の目に虎の口だっただけではない。紫色の顔で蛙のような声だったのだ」。また『礼楽志』にいう。「太官に挏馬酒を支給する」。李奇の注に「馬の乳を酒にしたもの。揰挏して作る」とある。二つの字はどちらも手偏である。揰挏とは、突き搗き練り混ぜることをいう。今、酪酒を作るのも同じである。先の学士はまた、桐を植える時期に太官の醸した馬酒が熟すのだと考えた。その視野の狭さは、ついにここまで来る。太山の羊粛も学問があるとされていた。潘岳の賦の「周文弱枝の棗」を読んで、杖策の杖のことだと思った。『世本』の「容成、暦を造る」を、暦を臼で挽く磨のことだと思った。
解説
この章句が説くこと
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