顔氏家訓 / 文章
異物志云:「擁劍狀如蟹、但一螯偏大爾。」何遜詩云:「躍魚如擁劍。」是不分魚蟹也。漢書:「御史府中列柏樹、常有野鳥數千、棲宿其上、晨去暮來、號朝夕鳥。」而文士往往誤作烏鳶用之。抱朴子說項曼都詐稱得仙、自云:「仙人以流霞一杯與我飲之、輒不饑渴。」而簡文詩云:「霞流抱朴碗。」亦猶郭象以惠施之辨為莊周言也。
新字:異物志云:「擁剣状如蟹、但一螯偏大爾。」何遜詩云:「躍魚如擁剣。」是不分魚蟹也。漢書:「御史府中列柏樹、常有野鳥数千、棲宿其上、晨去暮来、号朝夕鳥。」而文士往往誤作烏鳶用之。抱朴子説項曼都詐称得仙、自云:「仙人以流霞一杯与我飲之、輒不饑渴。」而簡文詩云:「霞流抱朴碗。」亦猶郭象以恵施之弁為荘周言也。
書き下し
異物志に云う、「擁剣は状蟹の如し。但だ一螯偏えに大なるのみ」と。何遜の詩に云う、「躍魚は擁剣の如し」と。是れ魚と蟹とを分かたざるなり。漢書に、「御史府の中に柏樹を列ぬ。常に野鳥数千有り、其の上に棲宿す。晨に去り暮に来たる。朝夕の鳥と号す」と。而るに文士往往に誤りて烏鳶と作して之を用う。抱朴子に項曼都の詐りて仙を得たりと称するを説く。自ら云う、「仙人流霞一杯を以て我に与えて之を飲ましむ。輒ち飢渇せず」と。而るに簡文の詩に云う、「霞は抱朴の碗に流る」と。亦た猶お郭象の恵施の弁を以て荘周の言と為すがごときなり。
現代語訳
『異物志』にいう。「擁剣は形が蟹のようである。ただ片方の鋏だけが大きい」。ところが何遜の詩にいう。「跳ねる魚は擁剣のようだ」。これでは魚と蟹の区別がついていない。『漢書』に「御史府の中に柏の木が並んでいる。いつも野鳥が数千いて、その上にねぐらをとる。朝に去り夕に来る。朝夕の鳥という」とある。ところが文人はしばしば誤って「烏鳶」と書いて用いる。『抱朴子』は項曼都が仙人になったと偽って称した話を載せる。彼はこう言った。「仙人が流霞という酒を一杯くれて飲ませてくれた。それから飢えも渇きも感じない」。ところが簡文帝の詩にいう。「霞は抱朴の椀に流れる」。これは郭象が恵施の議論を荘周の言葉としたのと同じである。
解説
この章句が説くこと
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