顔氏家訓 / 書證
講禮者乃以爲馬莧、馬莧堪食、亦名豚耳、俗名馬齒。江陵嘗有一僧、面形上廣下狹、劉緩幼子民譽、年始數歲、俊晤善體物、見此僧云:「面似馬莧。」其伯父縧因呼爲荔挺法師。縧親講禮名儒、尙誤如此。
新字:講礼者乃以為馬莧、馬莧堪食、亦名豚耳、俗名馬齒。江陵嘗有一僧、面形上広下狭、劉緩幼子民誉、年始数歳、俊晤善体物、見此僧云:「面似馬莧。」其伯父縧因呼為荔挺法師。縧親講礼名儒、尙誤如此。
書き下し
礼を講ずる者は乃ち以て馬莧と為す。馬莧は食らうに堪う。亦た豚耳と名づく。俗に馬歯と名づく。江陵に嘗て一僧有り、面の形は上広く下狭し。劉緩の幼子民誉、年始めて数歳、俊晤にして善く物を体す。此の僧を見て云う、「面は馬莧に似たり」と。其の伯父の縧、因って呼びて荔挺法師と為す。縧は親しく礼を講ずる名儒なり。尚お誤ること此くの如し。
現代語訳
礼を講じる者は、これを馬莧のことだとする。馬莧は食べられる。豚耳とも名づけられ、俗に馬歯という。江陵にかつて一人の僧がいて、顔の形が上が広く下が狭かった。劉緩の幼い子である民誉は、まだ数歳だったが、聡明で物の姿をよく捉えた。この僧を見て言った。「顔が馬莧に似ている」。その伯父の劉縧は、そこでこの僧を荔挺法師と呼んだ。劉縧は自ら礼を講じる名高い学者である。それでもこれほど誤っている。
解説
誤りが定着していく過程を、日常の一場面で示した段です。数歳の子が僧の顔を「馬莧に似ている」と言った。伯父は当意即妙に「荔挺法師」とあだ名をつけた。馬莧と荔挺を同じものだと思っていたからです。しかもこの伯父は、礼を講じる名高い学者でした。「尚お誤ること此くの如し」——専門家でもこの程度だ、と顔之推は書きます。とっさに出た機知が、誤った知識に基づいていた。冗談や比喩は、その人の理解をそのまま映します。日常のちょっとした言い回しに、実は理解の穴が出ていることがあります。
この章句が説くこと
馬莧は食らうに堪う面は馬莧に似たり荔挺法師機知に出る理解人物評価
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