顔氏家訓 / 書證
月令云:「荔挺出。」鄭玄注云:「荔挺、馬薤也。」説文云:「荔、似蒲而小、根可爲刷。」廣雅云:「馬薤、荔也。」通俗文亦云馬藺。易統通卦驗玄圖云:「荔挺不出、則國多火災。」蔡邕月令章句云:「荔似挺。」高誘注呂氏春秋云:「荔草挺出也。」然則月令注荔挺爲草名、誤矣。河北平澤率生之。江東頗有此物、人或種於階庭、但呼爲旱蒲、故不識馬薤。
新字:月令云:「荔挺出。」鄭玄注云:「荔挺、馬薤也。」説文云:「荔、似蒲而小、根可為刷。」広雅云:「馬薤、荔也。」通俗文亦云馬藺。易統通卦験玄図云:「荔挺不出、則国多火災。」蔡邕月令章句云:「荔似挺。」高誘注呂氏春秋云:「荔草挺出也。」然則月令注荔挺為草名、誤矣。河北平沢率生之。江東頗有此物、人或種於階庭、但呼為旱蒲、故不識馬薤。
書き下し
月令に云う、「荔挺出づ」と。鄭玄注して云う、「荔挺は、馬薤なり」と。説文に云う、「荔は、蒲に似て小さく、根は刷と為すべし」と。広雅に云う、「馬薤は、荔なり」と。通俗文にも亦た馬藺と云う。易統通卦験玄図に云う、「荔挺出でざれば、則ち国に火災多し」と。蔡邕の月令章句に云う、「荔は挺に似たり」と。高誘の呂氏春秋に注して云う、「荔草挺出するなり」と。然らば則ち月令の注に荔挺を草名と為すは、誤れり。河北の平沢に率ね之を生ず。江東にも頗る此の物有り。人或いは階庭に種う。但だ呼びて旱蒲と為す。故に馬薤を識らず。
現代語訳
『礼記』月令にいう。「荔挺が出る」。鄭玄が注して「荔挺は馬薤である」という。『説文』にいう。「荔は蒲に似て小さく、根は刷毛にできる」。『広雅』にいう。「馬薤は荔である」。『通俗文』にも馬藺という。『易統通卦験玄図』にいう。「荔挺が出なければ、国に火災が多い」。蔡邕の『月令章句』にいう。「荔は挺に似ている」。高誘が『呂氏春秋』に注して「荔草が挺と出る」という。そうであれば、月令の注が「荔挺」を草の名としているのは誤りである。河北の平地の沢には広くこれが生える。江南にもこの草はかなりある。人によっては庭先に植えている。ただそれを旱蒲と呼んでいる。だから馬薤だと分からない。
解説
この章句が説くこと
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