顔氏家訓 / 勉學
江南有一權貴、讀誤本蜀都賦注、解「蹲鴟、芋也」、乃為「羊」字、人饋羊肉、答書云:「損惠蹲鴟。」舉朝驚駭、不解事義、久後尋迹、方知如此。
新字:江南有一権貴、読誤本蜀都賦注、解「蹲鴟、芋也」、乃為「羊」字、人饋羊肉、答書云:「損恵蹲鴟。」舉朝驚駭、不解事義、久後尋迹、方知如此。
書き下し
江南に一権貴有り。誤本の蜀都賦の注を読み、「蹲鴟は芋なり」と解するを、乃ち「羊」の字と為す。人羊肉を饋るに、書に答えて云う、「蹲鴟を損惠す」と。挙朝驚駭し、事義を解せず。久しくして後に迹を尋ね、方めて此くの如きを知れり。
現代語訳
江南にある高位の人がいた。誤字のある写本の『蜀都賦』の注を読み、「蹲鴟は芋である」とあるところを「羊」の字だと思い込んだ。人が羊肉を贈ってきたとき、返事の手紙にこう書いた。「蹲鴟を頂戴いたしました」。朝廷じゅうが驚き、何のことか意味が分からなかった。ずっと後になって出どころをたどって、ようやくこういうわけだと分かった。
解説
写本の一字の誤りが、朝廷じゅうを困惑させた話です。「蹲鴟」は里芋のことなのに、注の「芋」を「羊」と読み違えて覚えていたため、羊肉の礼状に「蹲鴟をありがとう」と書いてしまった。誰も意味が分からず、原因が判明したのはずっと後です。誤った情報源から学ぶと、本人は正しく学んだつもりでいて、しかも周囲は誤りの正体を特定できない。だから訂正が遅れます。翻訳、要約、又聞きの資料で仕事をするとき、この危険が常にあります。おかしいと思ったときに原典に戻れる経路を持っているかどうかが、誤りの寿命を決めます。
この章句が説くこと
蹲鴟は芋なり誤本損恵蹲鴟情報源の誤り
関連する章句
-
『顔氏家訓』勉學元氏の世、洛京に在りし時、一才学の重臣有り、新たに史記の音を得たり。而して頗る紕繆あり、誤りて「顓頊」の字を反す。頊は当に許録の反たるべきに、錯りて許縁の反と作す。遂に朝士に謂いて言う、「従来謬りて『専旭』と音す。当に『専翾』と音すべきのみ」と。此の人先に高名有り、翕然として信じ行わる。期年の後、更に碩儒有り、苦ろに相い究討し、方めて誤りを知れり。
-
『顔氏家訓』勉學梁世に蔡朗なる者有り、純を諱む。既に学に渉らず、遂に蓴を呼びて露葵と為す。面牆の徒、逓いに相い仿效す。承聖中、一士大夫を遣わして斉に聘せしむ。斉の主客郎の李恕、梁の使に問いて曰く、「江南に露葵有りや否や」と。答えて曰く、「露葵は是れ蓴なり。水郷の出だす所なり。卿が今食う者は緑葵の菜なるのみ」と。李も亦た学問あるも、但だ彼の深浅を測らず、乍ち聞きて以て核究する無し。
-
『顔氏家訓』勉學夫れ学ぶ者は能く博聞なるを貴ぶなり。郡国山川、官位姓族、衣服飲食、器皿制度、皆な根尋して、其の原本を得んと欲す。文字に至りては、忽せにして懐を経ず。己が身の姓名すら、或いは乖舛多し。縦い誤らざるを得るも、亦た未だ由る所を知らず。近世に人有り子の為に名を制するに、兄弟皆な山の傍らに字を立つるに、而も峙と名づくる者有り。兄弟皆な手の傍らに字を立つるに、而も機と名づくる者有り。兄弟皆な水の傍らに字を立つるに、而も凝と名づくる者有り。名儒碩学すら、此の例甚だ多し。若し吾が鐘の調わざるを知る有らば、一に何ぞ笑うべき。
-
『顔氏家訓』勉學吾初め荘子の「螝は二首」を読み、韓非子に曰く、「虫に螝なる者有り、一身両口、食を争いて相い齕み、遂に相い殺すなり」と。茫然として此の字の何の音なるかを識らず。人に逢えば輒ち問うも、了に解する者無し。案ずるに、爾雅の諸書に、蚕の蛹を螝と名づく。又た二首両口貪害の物に非ず。後に古今字詁を見るに、此れも亦た古の虺の字なり。積年の凝滞、豁然として霧のごとく解けり。
-
『顔氏家訓』勉學談説し文を製し、古昔を援引するには、必ず眼学を須つ。耳受を信ずる勿かれ。江南の閭里の間、士大夫或いは学問せず、鄙朴を羞じ、道聴塗説して、強いて飾辞を事とす。徴質を呼びて周・鄭と為し、霍乱を謂いて博陸と為し、荆州に上るには必ず陝西と称し、揚都に下るには海郡に去くと言い、食を言えば則ち餬口、銭を道えば則ち孔方、移るを問えば則ち楚丘、婚を論ずれば則ち宴爾、王に及べば則ち仲宣ならざるは無く、劉を語れば則ち公幹ならざるは無し。凡そ一二百件有り、伝えて相い祖述す。尋ね問うも原由を知る莫く、施安すれば時に復た所を失う。
-
『顔氏家訓』勉學漢書の王莽の賛に云う、「紫色蛙声、余分閏位」と。偽を以て真を乱すを謂うのみ。昔吾嘗て人と共に書を談じ、王莽の形状に言い及ぶ。一俊士有り、自ら史学を許し、名価甚だ高し。乃ち云う、「王莽は直だ鴟目虎吻なるのみに非ず、亦た紫色蛙声なり」と。又た礼楽志に云う、「太官に挏馬酒を給す」と。李奇の注に、「馬乳を以て酒と為すなり。揰挏して乃ち成る」と。二字並びに手に従う。揰挏とは、此れ撞き搗き挺き挏くを謂うなり。今酪酒を為るも亦た然り。向の学士は又た以為えらく、桐を種うる時、太官の醸せる馬酒乃ち熟すと。其の孤陋遂に此に至る。太山の羊粛も、亦た学問と称せらる。潘岳の賦「周文弱枝の棗」を読みて、杖策の杖と為す。世本の「容成、暦を造る」を、暦を以て碓磨の磨と為せり。