顔氏家訓 / 書證
漢書云:「中外禔福。」字當從示。禔、安也、音匙匕之匙、義見蒼雅、方言。河北學士皆云如此。而江南書本、多誤從手、屬文者對耦、並爲提挈之意、恐爲誤也。
新字:漢書云:「中外禔福。」字当従示。禔、安也、音匙匕之匙、義見蒼雅、方言。河北学士皆云如此。而江南書本、多誤従手、属文者対耦、並為提挈之意、恐為誤也。
書き下し
漢書に云う、「中外禔福なり」と。字は当に示に従うべし。禔は、安なり。音は匙匕の匙。義は蒼雅・方言に見ゆ。河北の学士は皆な此くの如しと云う。而るに江南の書本は、多く誤りて手に従う。文を属する者の対耦は、並びに提挈の意と為す。恐らくは誤りと為さん。
現代語訳
『漢書』にいう。「内も外も安らかで幸いである」。字は示偏に従うべきである。「禔」は安らかという意味である。音は「匙」と同じである。その意味は『蒼頡篇』『爾雅』『方言』に見える。河北の学者はみなそのとおりだという。ところが江南の本は多く誤って手偏に従っている。文章を書く者が対句を作るときは、みな提げ持つという意味に取っている。おそらく誤りであろう。
解説
示偏の「禔」が手偏の「提」に誤写され、それに合わせて対句まで作られている、という指摘です。誤字が定着すると、それを前提にした表現が生産され、誤りが再生産されます。顔之推は、河北の学者は正しく読んでいるとも記しています。同じ書物でも、地域によって伝わっている形が違う。片方の系統だけを見ていると、そこに誤りがあっても気づけません。自分の周囲だけで共有されている理解は、外の系統と突き合わせてはじめて検証できます。同業他社や別の地域の実務と比べてみると、自分たちの当たり前が見えます。
この章句が説くこと
中外禔福禔は安なり江南の書本は誤りて手に従う系統の突き合わせ根本
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