顔氏家訓 / 書證
詩云:「參差荇菜。」爾雅云:「荇、接余也。」字或爲莕。先儒解釋皆云:水草、圓葉細莖、隨水淺深。今是水悉有之、黃花似蒓、江南俗亦呼爲豬蒓、或呼爲荇菜。劉芳具有注釋。而河北俗人多不識之、博士皆以參差者是莧菜、呼人莧爲人荇、亦可笑之甚。
新字:詩云:「参差荇菜。」爾雅云:「荇、接余也。」字或為莕。先儒解釈皆云:水草、円葉細茎、随水浅深。今是水悉有之、黄花似蒓、江南俗亦呼為豬蒓、或呼為荇菜。劉芳具有注釈。而河北俗人多不識之、博士皆以参差者是莧菜、呼人莧為人荇、亦可笑之甚。
書き下し
詩に云う、「参差たる荇菜」と。爾雅に云う、「荇は、接余なり」と。字は或いは莕と為す。先儒の解釈は皆な云う、「水草にして、円葉細茎、水の浅深に随う」と。今是の水に悉く之有り。黄花にして蓴に似たり。江南の俗にも亦た呼びて猪蓴と為し、或いは呼びて荇菜と為す。劉芳具さに注釈有り。而るに河北の俗人は多く之を識らず。博士は皆な参差たる者は是れ莧菜なりと以い、人莧を呼びて人荇と為す。亦た笑うべきの甚だしきなり。
現代語訳
『詩経』にいう。「長短ふぞろいの荇菜」。『爾雅』にいう。「荇は接余である」。字は「莕」とも書く。先儒の解釈はみな「水草で、丸い葉と細い茎を持ち、水の深浅に応じて伸びる」という。今この地方の水には至るところにある。黄色い花で蓴菜に似ている。江南の俗にもこれを猪蓴と呼び、あるいは荇菜と呼ぶ。劉芳が詳しい注釈を残している。ところが河北の一般の人は多くこれを知らない。学官たちはみな「参差たる」ものは莧菜のことだと思い、人莧を人荇と呼んでいる。これも笑うべきことの甚だしいものである。
解説
書證篇の冒頭です。『詩経』の一語が何を指すかを、複数の手順で確かめていきます。まず『爾雅』の定義、次に先儒の解釈、次に自分の実見——今この地方の水に生えている、黄色い花で蓴菜に似ている、と観察を加える。さらに現地の呼び名と、先行研究の注釈を挙げる。書物の記述と現物の観察を突き合わせるのが、この篇の方法です。それに対して河北の学官は、現物を知らないまま別の植物を当てていた。文献だけで済ませると、現物と対応しないまま名前だけが独り歩きする。仕様書と実物が食い違ったまま議論が進む状況と同じです。
この章句が説くこと
参差たる荇菜爾雅に荇は接余なり劉芳の注釈文献と現物
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