顔氏家訓 / 書證
江南別有苦菜、葉似酸漿、其花或紫或白、子大如珠、熟時或赤或黑、此菜可以釋勞。案:郭璞注爾雅、此乃蘵黃蒢也。今河北謂之龍葵。梁世講禮者、以此當苦菜、旣無宿根、至春方生耳、亦大誤也。又高誘注呂氏春秋曰:「榮而不實曰英。」苦菜當言英、益知非龍葵也。
新字:江南別有苦菜、葉似酸漿、其花或紫或白、子大如珠、熟時或赤或黒、此菜可以釈労。案:郭璞注爾雅、此乃蘵黄蒢也。今河北謂之竜葵。梁世講礼者、以此当苦菜、旣無宿根、至春方生耳、亦大誤也。又高誘注呂氏春秋曰:「栄而不実曰英。」苦菜当言英、益知非竜葵也。
書き下し
江南に別に苦菜有り。葉は酸漿に似たり。其の花は或いは紫、或いは白、子は大きさ珠の如し。熟する時、或いは赤く或いは黒し。此の菜は以て労を釈くべし。案ずるに、郭璞の爾雅に注するに、此れ乃ち蘵黄蒢なり。今河北は之を龍葵と謂う。梁世の礼を講ずる者は、此を以て苦菜に当つ。既に宿根無く、春に至りて方めて生ずるのみ。亦た大いなる誤りなり。又た高誘の呂氏春秋に注して曰く、「栄えて実らざるを英と曰う」と。苦菜は当に英と言うべし。益ます龍葵に非ざるを知る。
現代語訳
江南には別に苦菜と呼ばれるものがある。葉は酸漿に似ている。その花は紫だったり白だったりし、実は珠ほどの大きさである。熟したときには赤かったり黒かったりする。この菜は疲れを取ることができる。調べてみると、郭璞が『爾雅』に注したところでは、これは蘵黄蒢である。今、河北ではこれを龍葵という。梁の時代に礼を講じる者は、これを苦菜に当てていた。しかしこれには宿根がなく、春になってはじめて生える。これも大きな誤りである。また高誘が『呂氏春秋』に注して「花が咲いて実らないのを英という」と言っている。苦菜は「英」と言うべきものである。ますます龍葵ではないことが分かる。
解説
江南で苦菜と呼ばれている別の植物を、二つの根拠で否定します。一つ目は生育の性質で、苦菜は冬を越すが、この植物には宿根がなく春に生える。前段で挙げた条件と合いません。二つ目は用語で、花が咲いて実らないものを「英」と呼ぶのだから、実がなるこの植物は苦菜ではない。同じ名前で呼ばれている別のものを、性質と用語の二方向から切り分けています。同名異物の問題は、業務でも頻繁に起こります。同じ用語が部署ごとに別のものを指していると、議論が噛み合わない。名前ではなく性質で照合する習慣が要ります。
この章句が説くこと
江南に別に苦菜有り宿根無し栄えて実らざるを英と曰う同名異物
関連する章句
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『顔氏家訓』書證詩に云う、「誰か荼を苦しと謂う」と。爾雅・毛詩伝並びに荼を以て、苦菜なりとす。又た礼に云う、「苦菜秀ず」と。案ずるに、易統通卦験玄図に曰く、「苦菜は寒秋に生じ、冬を更え春を歴て、夏を得て乃ち成る」と。今の中原の苦菜は則ち此くの如し。一名を遊冬と曰う。葉は苦苣に似て細く、摘断すれば白汁有り。花は黄にして菊に似たり。
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『顔氏家訓』書證詩に云う、「参差たる荇菜」と。爾雅に云う、「荇は、接余なり」と。字は或いは莕と為す。先儒の解釈は皆な云う、「水草にして、円葉細茎、水の浅深に随う」と。今是の水に悉く之有り。黄花にして蓴に似たり。江南の俗にも亦た呼びて猪蓴と為し、或いは呼びて荇菜と為す。劉芳具さに注釈有り。而るに河北の俗人は多く之を識らず。博士は皆な参差たる者は是れ莧菜なりと以い、人莧を呼びて人荇と為す。亦た笑うべきの甚だしきなり。
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『顔氏家訓』勉學梁世に蔡朗なる者有り、純を諱む。既に学に渉らず、遂に蓴を呼びて露葵と為す。面牆の徒、逓いに相い仿效す。承聖中、一士大夫を遣わして斉に聘せしむ。斉の主客郎の李恕、梁の使に問いて曰く、「江南に露葵有りや否や」と。答えて曰く、「露葵は是れ蓴なり。水郷の出だす所なり。卿が今食う者は緑葵の菜なるのみ」と。李も亦た学問あるも、但だ彼の深浅を測らず、乍ち聞きて以て核究する無し。
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『顔氏家訓』書證礼を講ずる者は乃ち以て馬莧と為す。馬莧は食らうに堪う。亦た豚耳と名づく。俗に馬歯と名づく。江陵に嘗て一僧有り、面の形は上広く下狭し。劉緩の幼子民誉、年始めて数歳、俊晤にして善く物を体す。此の僧を見て云う、「面は馬莧に似たり」と。其の伯父の縧、因って呼びて荔挺法師と為す。縧は親しく礼を講ずる名儒なり。尚お誤ること此くの如し。
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『顔氏家訓』書證月令に云う、「荔挺出づ」と。鄭玄注して云う、「荔挺は、馬薤なり」と。説文に云う、「荔は、蒲に似て小さく、根は刷と為すべし」と。広雅に云う、「馬薤は、荔なり」と。通俗文にも亦た馬藺と云う。易統通卦験玄図に云う、「荔挺出でざれば、則ち国に火災多し」と。蔡邕の月令章句に云う、「荔は挺に似たり」と。高誘の呂氏春秋に注して云う、「荔草挺出するなり」と。然らば則ち月令の注に荔挺を草名と為すは、誤れり。河北の平沢に率ね之を生ず。江東にも頗る此の物有り。人或いは階庭に種う。但だ呼びて旱蒲と為す。故に馬薤を識らず。
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