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顔氏家訓 / 書證

詩云:「黃鳥于飛、集於灌木。」傳云:「灌木、叢木也。」此乃爾雅之文、故李巡注曰:「木叢生曰灌。」爾雅末章又云:「木族生爲灌。」族亦叢聚也。所以江南詩古本皆爲叢聚之叢、而古叢字似最字、近世儒生、因改爲最、解云:「木之最高長者。」案:眾家爾雅及解詩無言此者、唯周續之毛詩注、音爲徂會反、劉昌宗詩注、音爲在公反、又祖會反:皆爲穿鑿、失爾雅訓也。

新字:詩云:「黄鳥于飛、集於灌木。」伝云:「灌木、叢木也。」此乃爾雅之文、故李巡注曰:「木叢生曰灌。」爾雅末章又云:「木族生為灌。」族亦叢聚也。所以江南詩古本皆為叢聚之叢、而古叢字似最字、近世儒生、因改為最、解云:「木之最高長者。」案:眾家爾雅及解詩無言此者、唯周続之毛詩注、音為徂会反、劉昌宗詩注、音為在公反、又祖会反:皆為穿鑿、失爾雅訓也。

書き下し

詩に云う、「黄鳥于に飛び、灌木に集まる」と。伝に云う、「灌木は、叢木なり」と。此れ乃ち爾雅の文なり。故に李巡注して曰く、「木の叢生するを灌と曰う」と。爾雅の末章に又た云う、「木の族生するを灌と為す」と。族も亦た叢聚なり。所以に江南の詩の古本は皆な叢聚の叢と為す。而るに古の叢の字は最の字に似たり。近世の儒生、因って改めて最と為し、解して云う、「木の最も高長なる者なり」と。案ずるに衆家の爾雅及び詩を解するに、此を言う者無し。唯だ周続之の毛詩注のみ、音を徂会の反と為す。劉昌宗の詩注は、音を在公の反と為し、又た祖会の反と為す。皆な穿鑿と為し、爾雅の訓を失えり。

現代語訳

『詩経』にいう。「黄鳥が飛んで、灌木に集まる」。伝にいう。「灌木とは叢木である」。これは『爾雅』の文である。だから李巡は注して「木が群がり生えるのを灌という」といった。『爾雅』の末章にもまた「木が群がり生えるのを灌とする」とある。「族」もまた群れ集まることである。だから江南の『詩経』の古本ではみな「叢聚」の「叢」としている。ところが古い「叢」の字は「最」の字に似ている。近世の儒者はそこで「最」に改め、解釈して「木のうち最も高く長いものである」と言った。調べてみると諸家の『爾雅』や『詩経』の解釈で、こう言った者はいない。ただ周続之の毛詩注だけが音を徂会の反とし、劉昌宗の詩注は音を在公の反とし、また祖会の反ともする。どちらもこじつけであり、『爾雅』の訓を失っている。

解説

字形の似ている字が入れ替わり、それに合わせた解釈が生まれ、さらに音注まで作られていく過程です。「叢」が「最」に化け、「最も高い木」という説明が付き、注釈者たちが音を割り当てた。誤りの上に、もっともらしい体系が積み上がっています。顔之推は、諸家の解釈に一つもそう言った例がないことを根拠に退けます。新しい解釈が出てきたとき、それを支持する先行研究があるかを確かめる。誰も言っていないことを一人が言い出し、周辺の説明だけが増えていくときは、たいてい出発点に誤りがあります。

この章句が説くこと

灌木は叢木なり古の叢の字は最に似たり皆な穿鑿と為す誤りの上の体系理念企業文化

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