顔氏家訓 / 歸心
齊有一奉朝請、家甚豪侈、非手殺牛、噉之不美。年三十許、病篤、大見牛來、舉體如被刀刺、叫呼而終。
新字:斉有一奉朝請、家甚豪侈、非手殺牛、噉之不美。年三十許、病篤、大見牛来、舉体如被刀刺、叫呼而終。
書き下し
斉に一奉朝請有り、家甚だ豪侈なり。手ずから牛を殺すに非ざれば、之を噉らうも美ならず。年三十許りにして、病篤し。大いに牛の来たるを見る。挙体刀の刺すが如く、叫呼して終われり。
現代語訳
北斉に一人の奉朝請がいた。家はたいそう豪奢であった。自分の手で牛を殺したものでなければ、食べても美味くないという人であった。三十歳ばかりで病が重くなった。おびただしい牛が来るのが見えた。全身が刀で刺されるようになり、叫び声を上げて死んだ。
解説
因果応報譚の一つですが、この人物の特徴は「手ずから殺さなければ美味くない」というところにあります。食べるためではなく、殺す行為そのものに執着している。豊かな家に生まれ、必要から遠く離れたところで、殺すこと自体が嗜好になっていました。説話の枠を外して見ると、これは目的から切り離された行為の話です。もともと食べるための手段だったものが、それ自体を目的とする嗜好に変わっている。仕事でも、もとは成果のための手段だった作業が、それをやること自体が目的になることがあります。何のためにやっているかを見失った行為は、たいてい過剰になります。
この章句が説くこと
手ずから牛を殺すに非ざれば美ならず家甚だ豪侈目的から切れた行為
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