顔氏家訓 / 歸心
抑又論之:求道者、身計也、惜費者、國謀也。身計國謀、不可兩遂。誠臣徇主而棄親、孝子安家而忘國、各有行也。儒有不屈王侯高尚其事、隱有讓王辭相避世山林、安可計其賦役、以為罪人?若能偕化黔首、悉入道場、如妙樂之世、禳佉之國、則有自然稻米、無盡寶藏、安求田蠶之利乎?
新字:抑又論之:求道者、身計也、惜費者、国謀也。身計国謀、不可両遂。誠臣徇主而棄親、孝子安家而忘国、各有行也。儒有不屈王侯高尚其事、隠有譲王辞相避世山林、安可計其賦役、以為罪人?若能偕化黔首、悉入道場、如妙楽之世、禳佉之国、則有自然稲米、無尽宝蔵、安求田蠶之利乎?
書き下し
抑ま又た之を論ぜん。道を求むる者は、身計なり。費を惜しむ者は、国謀なり。身計と国謀とは、両つながら遂ぐべからず。誠臣は主に徇いて親を棄て、孝子は家を安んじて国を忘る。各おの行い有るなり。儒に王侯に屈せずして其の事を高尚するもの有り、隠に王を譲り相を辞して世を山林に避くるもの有り。安んぞ其の賦役を計りて、以て罪人と為すべけんや。若し能く偕く黔首を化し、悉く道場に入らしめば、妙楽の世、禳佉の国の如く、則ち自然の稲米、無尽の宝蔵有らん。安んぞ田蚕の利を求めんや。
現代語訳
さらに論じよう。道を求めるのは、自分自身のための計である。費用を惜しむのは、国のための謀である。自分のための計と国のための謀とは、両方を同時に遂げることはできない。忠実な臣は主君に殉じて親を捨て、孝行な子は家を安んじて国を忘れる。それぞれの行い方がある。儒者にも王侯に屈せずその生き方を高く保つ者がおり、隠者にも王位を譲り宰相を辞して世を離れ山林に隠れる者がいる。どうしてその税や労役を計算して、罪人とすることができようか。もしすべての民を教化して、みな道場に入らせることができたなら、妙楽の世や禳佉の国のように、自然に稲や米ができ、尽きることのない宝の蔵があるだろう。どうして農耕や養蚕の利益を求める必要があろうか。
解説
個人の道と国家の利害は両立しない、と正面から認めた一段です。「身計と国謀とは、両つながら遂ぐべからず」。この率直さが効いています。両立できると強弁せず、どちらを取るかは立場によると言う。そして儒家にも隠者にも、国家の計算から外れる生き方が認められてきたことを挙げ、仏教だけを罪とするのはおかしいと返します。後半の理想国の描写は信仰の表明です。実務的に効くのは前半で、個人の生き方と組織の利害が衝突するとき、両立するふりをせずに、どちらを優先するかを明示すること。両立を装った制度は、たいてい両方を損ないます。
この章句が説くこと
身計と国謀は両つながら遂ぐべからず王侯に屈せず各おの行い有り両立しない前提
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