顔氏家訓 / 歸心
釋四曰:內教多途、出家自是其一法耳。若能誠孝在心、仁惠為本、須達、流水、不必剃落鬚髮、豈令罄井田而起塔廟、窮編戶以為僧尼也?皆由為政不能節之、遂使非法之寺、妨民稼穡、無業之僧、空國賦算、非大覺之本旨也。
新字:釈四曰:内教多途、出家自是其一法耳。若能誠孝在心、仁恵為本、須達、流水、不必剃落鬚髪、豈令罄井田而起塔廟、窮編戸以為僧尼也?皆由為政不能節之、遂使非法之寺、妨民稼穡、無業之僧、空国賦算、非大覚之本旨也。
書き下し
釈の四に曰く、内教は途多く、出家は自ずから是れ其の一法なるのみ。若し能く誠孝心に在り、仁恵を本と為さば、須達・流水も、必ずしも鬚髪を剃落せず。豈に井田を罄くして塔廟を起こし、編戸を窮めて以て僧尼と為さしめんや。皆な政を為すこと之を節する能わざるに由り、遂に非法の寺をして、民の稼穡を妨げ、無業の僧をして、国の賦算を空しからしむ。大覚の本旨に非ざるなり。
現代語訳
第四の反論に答える。仏教には多くの道があり、出家はそのうちの一つの方法にすぎない。もし誠実と孝行を心に持ち、仁と恵みを根本とするなら、須達長者や流水長者のように、必ずしも髪や髭を剃り落とす必要はない。どうして田地を使い果たして塔や寺を建て、民戸を窮乏させて僧尼にする必要があろうか。どれも政治がこれを節制できなかったせいで、規定外の寺が民の農作を妨げ、務めを持たない僧が国の税を空にすることになった。悟りを開いた者の本来の趣旨ではない。
解説
寺と僧が国を損なうという批判への答えです。顔之推は批判の事実を否定しません。規定外の寺が農地を潰し、務めのない僧が税収を減らしている——それは認めます。そのうえで、原因を教えではなく政治の統制不足に帰す。「皆な政を為すこと之を節する能わざるに由る」。そして出家は数ある方法の一つにすぎず、在家のまま仁と孝を行えばよいと、要求水準を下げてみせます。批判の事実を認めたうえで原因の帰属を争う、という反論の型です。事実を否定すると議論が泥沼になりますが、原因の所在を論じるなら建設的になります。
この章句が説くこと
出家は其の一法のみ井田を罄くして塔廟を起こす政を為すこと節する能わず原因の帰属
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