顔氏家訓 / 歸心
俗之謗者、大抵有五:其一、以世界外事及神化無方為迂誕也、其二、以吉凶禍福或未報應為欺誑也、其三、以僧尼行業多不精純為奸慝也、其四、以糜費金寶減耗課役為損國也、其五、以縱有因緣如報善惡、安能辛苦今日之甲、利益後世之乙乎?為異人也。今並釋之於下云。
新字:俗之謗者、大抵有五:其一、以世界外事及神化無方為迂誕也、其二、以吉凶禍福或未報応為欺誑也、其三、以僧尼行業多不精純為奸慝也、其四、以糜費金宝減耗課役為損国也、其五、以縦有因縁如報善悪、安能辛苦今日之甲、利益後世之乙乎?為異人也。今並釈之於下云。
書き下し
俗の謗る者は、大抵五有り。其の一は、世界外の事及び神化の方無きを以て迂誕と為すなり。其の二は、吉凶禍福の或いは未だ報応せざるを以て欺誑と為すなり。其の三は、僧尼の行業の多くは精純ならざるを以て奸慝と為すなり。其の四は、金宝を糜費し課役を減耗するを以て損国と為すなり。其の五は、縦い因縁の善悪に報ゆるが如き有りとも、安んぞ能く今日の甲を辛苦せしめて、後世の乙を利益せんや、と。異人と為すなり。今並びに之を下に釈かん。
現代語訳
世間が仏教をそしる論には、おおむね五つある。第一に、この世界の外のことや、神通の変化に定まった形がないことを、荒唐無稽だとする。第二に、吉凶や禍福がときに報いとして現れないことを、欺きだとする。第三に、僧尼の修行や行いの多くが純粋でないことを、よこしまだとする。第四に、金銀財宝を浪費し、課税や労役の対象を減らすことを、国の損失だとする。第五に、たとえ因縁が善悪に報いるとしても、どうして今日の甲を苦しませて、後世の乙を利するのか、と。別人ではないかというのである。今、これらをそれぞれ以下で解いていく。
解説
反論の型としてよくできています。自分の立場を述べる前に、相手の批判を五つに整理し、それぞれ一行にまとめて列挙しました。そのうえで「今並びに之を下に釈かん」と予告する。読者は何が論じられるのかを先に把握できます。しかも五つの批判は、どれも実際に効いているものばかりです。荒唐無稽、因果が合わない、僧の質が低い、国庫の損失、そして輪廻の主体が同一人物なのかという最も難しい問い。弱い批判を選んでいません。反論を書くとき、相手の主張を自分で整理して並べられるかどうかが、その反論の信頼度を決めます。
この章句が説くこと
俗の謗る者大抵五有り迂誕欺誑奸慝損国今並びに之を釈く反論の型
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