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顔氏家訓 / 歸心

釋三曰:開闢已來、不善人多而善人少、何由悉責其精絜乎?見有名僧高行、棄而不說、若睹凡僧流俗、便生非毀。且學者之不勤、豈教者之為過?俗僧之學經律、何異世人之學詩、禮?以詩、禮之教、格朝廷之人、略無全行者、以經律之禁、格出家之輩、而獨責無犯哉?且闕行之臣、猶求祿位、毀禁之侶、何慚供養乎?其於戒行、自當有犯。一披法服、已墮僧數、歲中所計、齋講誦持、比諸白衣、猶不啻山海也。

新字:釈三曰:開闢已来、不善人多而善人少、何由悉責其精絜乎?見有名僧高行、棄而不説、若睹凡僧流俗、便生非毀。且学者之不勤、豈教者之為過?俗僧之学経律、何異世人之学詩、礼?以詩、礼之教、格朝廷之人、略無全行者、以経律之禁、格出家之輩、而独責無犯哉?且闕行之臣、猶求禄位、毀禁之侶、何慚供養乎?其於戒行、自当有犯。一披法服、已堕僧数、歳中所計、斎講誦持、比諸白衣、猶不啻山海也。

書き下し

釈の三に曰く、開闢已来、不善の人多くして善人少なし。何に由りてか悉く其の精絜を責めんや。名僧高行有るを見るも、棄てて説かず。若し凡僧流俗を睹れば、便ち非毀を生ず。且つ学ぶ者の勤めざるは、豈に教うる者の過ちと為さんや。俗僧の経律を学ぶは、何ぞ世人の詩・礼を学ぶに異ならん。詩・礼の教えを以て、朝廷の人を格せば、略ぼ全行の者無し。経律の禁を以て、出家の輩を格して、独り犯す無きを責めんや。且つ闕行の臣すら、猶お禄位を求む。毀禁の侶、何ぞ供養を慚じんや。其の戒行においては、自ずから当に犯有るべし。一たび法服を披れば、已に僧数に堕す。歳中の計る所、斎講誦持は、諸の白衣に比すれば、猶お山海に啻ならざるなり。

現代語訳

第三の反論に答える。天地が開けて以来、善くない人が多く善い人は少ない。どうしてすべての僧に純粋さを求められようか。名高い僧の高い行いがあっても、それは捨てて語らない。もし凡庸で俗な僧を見れば、すぐさま非難する。しかも学ぶ者が勤めないのを、どうして教える者の過ちとするのか。俗な僧が経と律を学ぶのは、世間の人が『詩経』と『礼記』を学ぶのと何が違おうか。詩と礼の教えで朝廷の人を測れば、行いの全き者はほとんどいない。経と律の戒めで出家の者を測って、それだけ違犯がないことを求めるのか。しかも行いの欠けた臣ですら俸禄と地位を求める。戒を破った僧が、どうして供養を恥じようか。その戒行には、当然違犯がある。しかしひとたび法衣をまとえば、すでに僧の数に入っている。一年で数えれば、斎会や講義や読誦は、在家の人に比べれば、山と海ほどの違いがある。

解説

僧の質が低いという批判への答えです。論法が明快で、同じ物差しを相手にも当ててみせる。詩と礼で朝廷の人を測れば、行いの全き人はほとんどいない。それなら僧にだけ完全を求めるのはなぜか。そのうえで、それでも法衣をまとった者は在家より圧倒的に多く修行している、と量で反論します。ある集団の一部の不品行をもって集団全体を否定する論法は、いつでも成立してしまう。だからこそ、同じ物差しを自分の属する集団に当てるとどうなるかを確かめる。批判が成り立つかどうかは、その基準が普遍的に適用できるかで決まります。

この章句が説くこと

詩礼の教えを以て朝廷の人を格す学ぶ者の勤めざるは教うる者の過ちならず基準の普遍性

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