顔氏家訓 / 歸心
釋二曰:夫信謗之徵、有如影響、耳聞目見、其事已多、或乃精誠不深、業緣未感、時儻差闌、終當獲報耳。善惡之行、禍福所歸。九流百氏、皆同此論、豈獨釋典為虛妄乎?項橐、顏回之短折、伯夷、原憲之凍餒、盜跖、莊蹻之福壽、齊景、桓魋之富強、若引之先業、冀以後生、更為通耳。如以行善而偶鐘禍報、為惡而儻值福征、便生怨尤、即為欺詭、則亦堯、舜之雲虛、周、孔之不實也、又欲安所依信而立身乎?
新字:釈二曰:夫信謗之徴、有如影響、耳聞目見、其事已多、或乃精誠不深、業縁未感、時儻差闌、終当獲報耳。善悪之行、禍福所帰。九流百氏、皆同此論、豈独釈典為虚妄乎?項橐、顔回之短折、伯夷、原憲之凍餒、盗跖、荘蹻之福寿、斉景、桓魋之富強、若引之先業、冀以後生、更為通耳。如以行善而偶鐘禍報、為悪而儻値福征、便生怨尤、即為欺詭、則亦堯、舜之雲虚、周、孔之不実也、又欲安所依信而立身乎?
書き下し
釈の二に曰く、夫れ信謗の徴は、影響の如き有り。耳に聞き目に見ること、其の事已に多し。或いは乃ち精誠深からず、業縁未だ感ぜず、時儻し差闌すれば、終に当に報を獲べきのみ。善悪の行いは、禍福の帰する所なり。九流百氏、皆な此の論を同じくす。豈に独り釈典のみ虚妄と為さんや。項橐・顔回の短折、伯夷・原憲の凍餒、盗跖・荘蹻の福寿、斉景・桓魋の富強も、若し之を先業に引き、以て後生を冀わば、更に通と為るのみ。如し善を行いて偶ま禍報に鐘り、悪を為して儻し福徴に値うを以て、便ち怨尤を生じ、即ち欺詭と為さば、則ち亦た堯・舜の云うも虚しく、周・孔の実ならざるなり。又た安くに依信して身を立てんと欲するや。
現代語訳
第二の反論に答える。信じることと謗ることの徴は、影や響きのようにはっきりしている。耳で聞き目で見たことは、すでに数多い。あるいは誠意が深くなく、業縁がまだ熟しておらず、時期がずれているだけで、最後には報いを得るのである。善悪の行いは、禍福の帰するところである。諸子百家もみなこの論では一致している。どうして仏典だけを虚妄とするのか。項橐や顔回が若死にし、伯夷や原憲が凍え飢え、盗跖や荘蹻が福と長寿を得、斉の景公や桓魋が富み栄えたことも、それを前世の業に結びつけ、来世に望みをかけるなら、かえって筋が通る。もし善を行って偶然に禍いの報いに遭い、悪を為して偶然に福の徴に出会ったからといって、すぐ怨みを抱き、欺きだと言うのなら、それは堯や舜の言葉も空しく、周公や孔子も実がないことになる。それでは、いったい何に依り信じて身を立てるつもりなのか。
解説
この章句が説くこと
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『初学訓』巻之一一天につかへておこたらずとは、人となる者、只朝夕天道の眼前にありて遠からざることを思ひ、つねに天道を畏れ敬ひてあなどらず、かりにも天道をそむき無道のことをなすべからず。天道にしたがひてそむかず、わが身をへりくだりて、人をあなどりほこらず、欲をこらへてほしいままにせず、天地の生みていつくしみ給ふ人倫をあつくあはれみて、あなどらずそこなはず。天地の、人のためにつくり出し給ふ五穀と万のたからを、わが一人の欲のためにみだりにつひやさず。次に、鳥獣虫魚の生ける物をみだりにころさず、草木をも時ならずしてみだりに伐らず。是皆天地のうみ出しやしなひて、いつくしみ給ふ物なれば、これをあはれみ養ふは、天地の御心に従ひて背かざるわざなり。
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『翁問答』上卷之末師の曰、よき不審にて候、それは易学をよくきはめざれば、合点ゆきかぬる所にて候へども大かたをかたり候はん、夫賢人君子鳳凰麒麟などを善とさだめ、愚痴不肖鳶狐狸などを悪とさだめ、善悪の二字にてさたし、それをそのまゝ天道におしあてがふによつて一しほうたがひまし候、先根本をよく考へ見て、さて枝葉をよく吟味したるがよく候、天道を根本として生れ出たる万物なれば、天道は人物の大父母にして根本なり、人物は天道の子孫にして枝葉なり根本の天道純粋至善なれば、その枝葉の人物もみな善にして悪なしと得心すべし、瓜づるに茄子はならぬといへるが如し、
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『呻吟語』内篇・問學・胸中獨り得たる中正の道理學問の大要は、須らく天道・人情・物理・世故を把りて識得すること透徹し、卻って胸中獨り得たる中正底の道理を以て之を消息すべし。
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『慎思録』巻之四陽過ぐれば則ち大旱と為り、陰過ぐれば則ち霪雨と為る。或いは大風洪水、山崩れ川決し、海溢れ地震ひ、疾疫蟲蝗、種種の災害は、皆是れ陰陽闔闢の大過不及なり。是れ天道は無心にして、陰陽に変有る所以なり。天道の至理は、本自ら善にして悪無し。之を善と謂ふ者は生生覆育の謂なり。然れども陰陽の変易は、雑糅して究まり無く、動静常無し。是を以て災害時有りて生ず。是れ天理の正に非ずと雖も、然れども是れも亦た天理の中に無きこと能はざる者にして、自然の理なり。故に程子曰く、善悪皆天理なり、と。又曰く、善は固より性なり。然れども悪も亦た之を性と謂はざるべからず、と。深く此の意を得たりと謂ふべし。
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孔子家語・六本孔子斉に在り、外館に舎る。景公造く。賓主の辞既に接するや、左右白して曰わく、「周の使い適に至り、先王の廟災すと言う。」景公覆た災は何れの王の廟なるかを問う。孔子曰わく、「此れ必ず厘王の廟ならん。」公曰わく、「何を以て之れを知るや。」孔子曰わく、「詩に云う、『皇皇たる上天、其の命忒わず。天の善を以てするや、必ず其の徳に報ゆ。』禍も亦た之れの如し。夫れ厘王は文武の制を変じ、玄黄華麗の飾りを作り、宮室崇峻に、輿馬奢侈にして、振るう可からず。故に天殃宜しく其の廟に加うべし、是を以て之れを占なうに然りと為す。」公曰わく、「天何ぞ其の身を殃せずして、其の廟に罰を加うるや。」孔子曰わく、「蓋し文武を以ての故なり。若し其の身を殃せば、則ち文武の嗣、乃ち殄びんとするに無からんや。故に当に其の廟を殃すべく、以て其の過ちを彰らかにす。」俄頃にして、左右報じて曰わく、「災する所は、厘王の廟なり。」景公驚き起ちて、再拝して曰わく、「善いかな、聖人の智、人に過ぐること遠し。」
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『初学訓』巻之三一天道は、人の善に福し、悪に禍し給ふ。是人のしわざの善悪によりて、天より、福と禍とを報い給へる理なり。是は、天道の常理なり、疑ふべからず。又人の生質によりて、富貴、貧賤、禍福、寿夭あり。或は、時によりて不意に吉凶あり。皆是、陰陽の変化にして、人の生れつきにより、気を禀くること厚薄あり。厚き気をうけたる人は富貴にして福あり。薄き気をうけたる人は、貧賤にして禍あり。又、長き気をうけたるは寿く、短き気をうけたるは夭し。天の陰陽の気をうけて如斯なれば、すべて天命といふ。
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