顔氏家訓 / 歸心
日月星辰、若皆是氣、氣體輕浮、當與天合、往來環轉、不得錯違、其間遲疾、理宜一等、何故日月五星二十八宿、各有度數、移動不均?寧當氣墜、忽變為石?地既滓濁、法應沈厚、鑿土得泉、乃浮水上、積水之下、復有何物?江河百谷、從何處生?東流到海、何為不溢?歸塘尾閭、渫何所到?沃焦之石、何氣所然?潮汐去還、誰所節度?
新字:日月星辰、若皆是気、気体軽浮、当与天合、往来環転、不得錯違、其間遅疾、理宜一等、何故日月五星二十八宿、各有度数、移動不均?寧当気墜、忽変為石?地既滓濁、法応沈厚、鑿土得泉、乃浮水上、積水之下、復有何物?江河百谷、従何処生?東流到海、何為不溢?帰塘尾閭、渫何所到?沃焦之石、何気所然?潮汐去還、誰所節度?
書き下し
日月星辰、若し皆な是れ気ならば、気体軽浮にして、当に天と合すべし。往来環転して、錯違するを得ず。其の間の遅疾、理として宜しく一等なるべし。何が故に日月五星二十八宿、各おの度数有り、移動均しからざる。寧んぞ当に気墜ちて、忽ち変じて石と為るべけんや。地既に滓濁なれば、法として応に沈厚なるべし。土を鑿ちて泉を得るに、乃ち水上に浮かぶ。積水の下に、復た何物有らんや。江河百谷は、何処より生ずる。東流して海に到るも、何為れぞ溢れざる。帰塘尾閭は、渫きて何の到る所ぞ。沃焦の石は、何の気の然やす所ぞ。潮汐の去還は、誰の節度する所ぞ。
現代語訳
日月や星辰がもしすべて気であるなら、気は軽く浮くものだから、天と一体であるはずだ。往来し巡って、行き違うはずがない。その間の遅速も、道理からいえば同じであるべきだ。それなのになぜ日月と五星と二十八宿は、それぞれ度数が違い、動きが均一でないのか。どうして気が墜ちて、たちまち石に変わったりするのか。地はもともと濁った滓なのだから、道理からすれば沈んで厚いはずである。ところが土を掘って泉を得ると、地は水の上に浮かんでいることになる。積もった水の下には、いったい何があるのか。大河や多くの谷川は、どこから生じるのか。東に流れて海に至るのに、どうして溢れないのか。海水が流れ込む底の穴は、どこまで抜けているのか。海底の沃焦の石は、何の気が燃やしているのか。潮の満ち引きは、誰が加減しているのか。
解説
この章句が説くこと
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