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顔氏家訓 / 養生

自亂離已來、吾見名臣賢士、臨難求生、終為不救、徒取窘辱、令人憤懣。侯景之亂、王公將相、多被戮辱、妃主姬妾、略無全者。唯吳郡太守張嵊、建義不捷、為賊所害、辭色不撓、及鄱陽王世子謝夫人、登屋詬怒、見射而斃。夫人、謝遵女也。何賢智操行若此之難?婢妾引決若此之易?悲夫!

新字:自乱離已来、吾見名臣賢士、臨難求生、終為不救、徒取窘辱、令人憤懣。侯景之乱、王公将相、多被戮辱、妃主姬妾、略無全者。唯吳郡太守張嵊、建義不捷、為賊所害、辞色不撓、及鄱陽王世子謝夫人、登屋詬怒、見射而斃。夫人、謝遵女也。何賢智操行若此之難?婢妾引決若此之易?悲夫!

書き下し

乱離已来、吾名臣賢士の、難に臨みて生を求め、終に救われずして、徒らに窘辱を取るを見る。人をして憤懣せしむ。侯景の乱に、王公将相、多く戮辱を被る。妃主姫妾、略ぼ全き者無し。唯だ呉郡の太守張嵊は、義を建てて捷たず、賊の害する所と為るも、辞色撓まず。及び鄱陽王世子の謝夫人は、屋に登り詬り怒り、射られて斃る。夫人は、謝遵の女なり。何ぞ賢智の操行は此くの若く難く、婢妾の引決は此くの若く易きか。悲しいかな。

現代語訳

戦乱以来、私は名臣や賢士が、危難に臨んで生きようとして、結局は救われず、いたずらに苦しみと辱めを受けるのを見てきた。人を憤らせる思いである。侯景の乱では、王侯や将相の多くが殺され辱められた。妃や姫や側室で、無事だった者はほとんどいない。ただ呉郡太守の張嵊は、義兵を挙げて勝てず、賊に殺されたが、言葉つきも顔色も屈しなかった。また鄱陽王の世子の謝夫人は、屋根に登って罵り怒り、射られて死んだ。夫人は謝遵の娘である。どうして賢者や知者の節操はこれほど難しく、下女や側室の覚悟はこれほどたやすいのか。悲しいことだ。

解説

顔氏家訓の中で最も苦い一句が置かれています。「何ぞ賢智の操行は此くの若く難く、婢妾の引決は此くの若く易きか」——学識のある名臣たちは危難の場で生き延びようとして辱めを受け、身分の低い女性たちはあっさりと覚悟を決めた。学問と地位が、いざというときの振る舞いを保証しなかった。しかも顔之推自身が乱を生き延びた人です。この一句には自分も含まれています。平時の議論の質と、危機の場での振る舞いは別物である——彼が繰り返し説いてきた「知りて行わず」の、最も重い実例です。

この章句が説くこと

難に臨みて生を求む張嵊謝夫人賢智の操行はかく難く婢妾の引決はかく易し節義

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この一句を、あなたの毎日に。

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