顔氏家訓 / 誡兵
習五兵、便乘騎、正可稱武夫爾。今世士大夫、但不讀書、即稱武夫兒、乃飯囊酒甕也。
新字:習五兵、便乗騎、正可称武夫爾。今世士大夫、但不読書、即称武夫児、乃飯嚢酒甕也。
書き下し
五兵を習い、乗騎に便なるは、正に武夫と称すべきのみ。今世の士大夫は、但だ書を読まざれば、即ち武夫の児と称す。乃ち飯嚢酒甕なり。
現代語訳
五種の武器を習い、馬に乗るのに達者であってこそ、武人と呼べるだけである。今の世の士大夫は、ただ書を読まないというだけで、すぐ武人の子だと自称する。それは飯を詰める袋、酒を入れる甕にすぎない。
解説
三十九字の痛烈な一段です。武人と呼ばれるには、武器を習い馬を乗りこなす技能が要る。ところが当時の士大夫は、本を読まないというだけで「武人肌だ」と自称した。それは技能ではなく、単に学んでいないだけです。「飯嚢酒甕」——飯袋と酒甕、つまり食って飲むだけの器。何かができないことを、別の何かの証拠にする詭弁を、一行で切り捨てています。理屈が苦手だから現場派だ、細かいことは分からないが大局は見える、という自己規定は今もよく聞きます。できないことは、別の能力の証明にはなりません。
この章句が説くこと
五兵を習い乗騎に便なり武夫の児と称す飯嚢酒甕詭弁兵法
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