顔氏家訓 / 勉學
人生在世、會當有業:農民則計量耕稼、商賈則討論貨賄、工巧則致精器用、伎藝則沈思法術、武夫則慣習弓馬、文士則講議經書。
新字:人生在世、会当有業:農民則計量耕稼、商賈則討論貨賄、工巧則致精器用、伎芸則沈思法術、武夫則慣習弓馬、文士則講議経書。
書き下し
人生世に在れば、会ず当に業有るべし。農民は則ち耕稼を計量し、商賈は則ち貨賄を討論し、工巧は則ち器用を精にし、伎芸は則ち法術を沈思し、武夫は則ち弓馬を慣習し、文士は則ち経書を講議す。
現代語訳
人がこの世に生きている以上、必ず自分の業を持たねばならない。農民であれば耕作と収穫を計り、商人であれば商品と取引を検討し、職人であれば道具を精巧に作り、芸能の者であれば技法を深く考え、武人であれば弓と馬に習熟し、文人であれば経書を講じ論じる。
解説
職業を六つ並べて、それぞれに固有の「業」があると宣言した一段です。士大夫の学問だけを特別扱いしていないところが重要です。農民には収量の計算、商人には取引の検討、職人には道具の精度、芸能者には技法の探究——どれも同じ構文で並べられている。学問とは文人にとっての業であって、業を持つこと自体は全職業に共通する、という構造になっています。次の段で、この前提に反する士大夫が批判されます。自分の職業に固有の「業」とは何かを言葉にできるかどうか。それが言えない人は、その職業をしているのではなく、その職業の席に座っているだけです。
この章句が説くこと
人生世に在れば会ず業有るべし農商工伎武文業とは何か
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