顔氏家訓 / 止足
天地鬼神之道、皆惡滿盈。謙虛沖損、可以免害。人生衣趣以覆寒露、食趣以塞饑乏耳。形骸之內、尚不得奢靡、己身之外、而欲窮驕泰邪?周穆王、秦始皇、漢武帝、富有四海、貴為天子、不知紀極、猶自敗累、況士庶乎?常以二十口家、奴婢盛多、不可出二十人、良田十頃、堂室纔蔽風雨、車馬僅代杖策、蓄財數萬、以擬吉凶急速、不啻此者、以義散之、不至此者、勿非道求之。
新字:天地鬼神之道、皆悪満盈。謙虚沖損、可以免害。人生衣趣以覆寒露、食趣以塞饑乏耳。形骸之内、尚不得奢靡、己身之外、而欲窮驕泰邪?周穆王、秦始皇、漢武帝、富有四海、貴為天子、不知紀極、猶自敗累、況士庶乎?常以二十口家、奴婢盛多、不可出二十人、良田十頃、堂室纔蔽風雨、車馬僅代杖策、蓄財数万、以擬吉凶急速、不啻此者、以義散之、不至此者、勿非道求之。
書き下し
天地鬼神の道は、皆な満盈を悪む。謙虚沖損なれば、以て害を免るべし。人生の衣は寒露を覆うに趣くのみ、食は飢乏を塞ぐに趣くのみ。形骸の内すら、尚お奢靡を得ざるに、己身の外に、而も驕泰を窮めんと欲するか。周の穆王、秦の始皇、漢の武帝は、富は四海を有し、貴きは天子と為るも、紀極を知らず、猶お自ら敗累す。況んや士庶をや。常に二十口の家を以てせば、奴婢盛んに多くとも、二十人を出づべからず。良田は十頃、堂室は纔かに風雨を蔽い、車馬は僅かに杖策に代う。蓄財は数万、以て吉凶の急速に擬う。此に啻ならざる者は、義を以て之を散ぜよ。此に至らざる者は、道に非ざるを以て之を求むる勿かれ。
現代語訳
天地や鬼神の道は、みな満ち溢れることを憎む。謙虚に控えめにしていれば、害を免れられる。人が生きるうえで、衣服は寒さと露を覆えれば足り、食事は飢えを塞げれば足りる。自分の体のことでさえ贅沢は許されないのに、体の外のことでどうして驕り高ぶりを極めようとするのか。周の穆王、秦の始皇帝、漢の武帝は、富は天下を保有し、貴さは天子であったが、限度を知らず、それでも自ら失敗し累を及ぼした。まして士や庶民はなおさらである。常に二十人の家族という規模で考えるなら、召使いがどれほど多くても二十人を超えてはならない。良田は十頃、住まいはかろうじて風雨を凌げる程度、車馬は杖の代わりになる程度。蓄えは数万銭で、慶弔の急な入用に備える。これを超える分は、義によって人に分け与えよ。これに達しない者は、道に外れた方法で求めてはならない。
解説
この章句が説くこと
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