顔氏家訓 / 止足
禮云:『欲不可縱、誌不可滿。』宇宙可臻其極、情性不知其窮、唯在少欲知足、為立涯限爾。先祖靖侯戒子侄曰:『汝家書生門戶、世無富貴、自今仕宦不可過二千石、婚姻勿貪勢家。』吾終身服膺、以為名言也。
新字:礼云:『欲不可縦、誌不可満。』宇宙可臻其極、情性不知其窮、唯在少欲知足、為立涯限爾。先祖靖侯戒子侄曰:『汝家書生門戸、世無富貴、自今仕宦不可過二千石、婚姻勿貪勢家。』吾終身服膺、以為名言也。
書き下し
礼に云う、「欲は縦にすべからず、志は満たすべからず」と。宇宙は其の極に臻るべきも、情性は其の窮まるを知らず。唯だ少欲知足に在りて、為に涯限を立つるのみ。先祖靖侯の子姪を戒めて曰く、「汝が家は書生の門戸なり。世に富貴無し。今より仕宦は二千石を過ぐべからず。婚姻は勢家を貪ること勿かれ」と。吾終身膺に服し、以て名言と為すなり。
現代語訳
『礼記』にいう。「欲望はほしいままにしてはならず、志は満たしきってはならない」。宇宙にはその果てまで行き着けるが、人の情と性には限りがない。ただ欲を少なくし足るを知ることによって、自分で限界線を立てるほかない。先祖の靖侯が子や甥を戒めて言った。「お前の家は書生の家柄である。代々富貴ではない。今後、官職は二千石を超えてはならない。縁組では権勢の家を求めてはならない」。私は生涯これを胸に抱き、名言としてきた。
解説
止足篇の原理です。欲望には自然な上限がないので、自分で線を引くしかない。そのうえで先祖の具体的な線が引かれます。官職は二千石まで、縁組で権勢の家を狙わない。抽象的な「足るを知れ」ではなく、数字と条件で書かれているのが特徴です。だから守れているかどうかが判定できる。しかも上限を設けるのは、家柄という前提と結びついています。書生の家だから、この線が自分たちに合っている。事業や個人の目標でも、成長の上限を自分で決めている人は少ない。どこまで行けば十分かを、判定できる形で書いておくと、際限のない拡大から降りられます。
この章句が説くこと
欲は縦にすべからず少欲知足仕宦は二千石を過ぐべからず上限を決める足るを知る持続可能性
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