顔氏家訓 / 省事
今世所睹、懷瑾瑜而握蘭桂者、悉恥為之。守門詣闕、獻書言計、率多空薄、高自矜誇、無經略之大體、咸秕糠之微事、十條之中、一不足采、縱合時務、已漏先覺、非謂不知、但患知而不行耳。或被發奸私、面相酬證、事途回穴、翻懼愆尤、人主外護聲教、脫加含養、此乃僥幸之徒、不足與比肩也。
新字:今世所睹、懐瑾瑜而握蘭桂者、悉恥為之。守門詣闕、献書言計、率多空薄、高自矜誇、無経略之大体、咸秕糠之微事、十条之中、一不足采、縦合時務、已漏先覚、非謂不知、但患知而不行耳。或被発奸私、面相酬證、事途回穴、翻懼愆尤、人主外護声教、脫加含養、此乃僥幸之徒、不足与比肩也。
書き下し
今世の睹る所、瑾瑜を懐き蘭桂を握る者は、悉く之を為すを恥ず。門を守り闕に詣り、書を献じ計を言うは、率ね多く空薄にして、高く自ら矜誇す。経略の大体無く、咸な秕糠の微事なり。十条の中、一も采るに足らず。縦い時務に合するも、已に先覚に漏る。知らざるを謂うに非ず、但だ知りて行わざるを患うるのみ。或いは奸私を発かれ、面のあたり相い酬証す。事途回穴し、翻って愆尤を懼る。人主外は声教を護り、脱がれて含養を加う。此れ乃ち僥倖の徒なり。与に肩を比ぶるに足らざるなり。
現代語訳
今の世に見るところ、美玉を懐に抱き香木を手にするような人物は、みなこうしたことをするのを恥じている。宮門を守り朝廷に詣で、書を献じて策を述べる者は、おおむね中身が薄く、自分を高く誇っている。国政運営の大局はなく、みな籾殻のような些事ばかりである。十か条のうち一つも採るに足りない。たとえ時勢に合っていても、すでに先に気づいた者がいる。知らないというのではない。ただ知っていて行わないことが問題なのである。あるいは私利私欲を暴かれ、面と向かって証拠を突きつけ合う。事の成り行きは曲がりくねり、かえって咎めを恐れる。君主は外向きには教化の体面を守り、見逃して寛大に扱う。これはつまり僥倖に頼る者たちである。肩を並べるに値しない。
解説
提言の質を評価する基準として、鋭い一文があります。「知らざるを謂うに非ず、但だ知りて行わざるを患うるのみ」——問題は誰も知らないことではなく、知っていて実行されないことだ。だから「時勢に合った提言」であっても、すでに先に気づいている人がいるなら、価値は提言そのものにはない。組織の課題の大半は、指摘されていないから放置されているのではなく、指摘されても実行されないから放置されています。そこに新しい指摘を足しても何も動かない。提案の価値は、新しさではなく、実行までを引き受けるかどうかで決まります。
この章句が説くこと
書を献じ計を言う十条の中一も采るに足らず知りて行わざるを患う実行
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