顔氏家訓 / 涉務
梁世士大夫、皆尚褒衣博帶、大冠高履、出則車輿、入則扶侍、郊郭之內、無乘馬者。周弘正為宣城王所愛、給一果下馬、常服御之、舉朝以為放達。至乃尚書郎乘馬、則糾劾之。及侯景之亂、膚脆骨柔、不堪行步、體羸氣弱、不耐寒暑、坐死倉猝者、往往而然。建康令王復性既儒雅、未嘗乘騎、見馬嘶歕陸梁、莫不震懾、乃謂人曰:「正是虎、何故名為馬乎?」其風俗至此。
新字:梁世士大夫、皆尚褒衣博帯、大冠高履、出則車輿、入則扶侍、郊郭之内、無乗馬者。周弘正為宣城王所愛、給一果下馬、常服御之、舉朝以為放達。至乃尚書郎乗馬、則糾劾之。及侯景之乱、膚脆骨柔、不堪行歩、体羸気弱、不耐寒暑、坐死倉猝者、往往而然。建康令王復性既儒雅、未嘗乗騎、見馬嘶歕陸梁、莫不震懾、乃謂人曰:「正是虎、何故名為馬乎?」其風俗至此。
書き下し
梁世の士大夫は、皆な褒衣博帯、大冠高履を尚ぶ。出ずれば則ち車輿、入れば則ち扶侍せらる。郊郭の内、馬に乗る者無し。周弘正は宣城王の愛する所と為り、一果下馬を給せらる。常に之に服御す。挙朝以て放達と為す。乃ち尚書郎の馬に乗るに至りては、則ち之を糾劾す。侯景の乱に及び、膚脆く骨柔らかにして、行歩に堪えず。体羸せ気弱くして、寒暑に耐えず。倉猝に坐死する者、往往にして然り。建康の令王復は、性既に儒雅にして、未だ嘗て乗騎せず。馬の嘶き歕き陸梁するを見れば、震懾せざるは莫し。乃ち人に謂いて曰く、「正に是れ虎なり。何が故に名づけて馬と為すや」と。其の風俗此に至れり。
現代語訳
梁の時代の士大夫は、みなゆったりした衣と広い帯、大きな冠と高い履物を好んだ。外出すれば車に乗り、屋内では人に支えられた。都の内で馬に乗る者はいなかった。周弘正は宣城王に愛され、小型の馬を一頭与えられた。いつもそれに乗っていた。朝廷じゅうが型破りだと言った。尚書郎が馬に乗ろうものなら、弾劾された。侯景の乱が起きると、肌はもろく骨は柔らかく、歩くのに堪えられなかった。体は痩せ気力は弱く、寒暑に耐えられなかった。にわかに座り込んで死ぬ者が、あちこちにいた。建康の令である王復は、性格が上品で、これまで馬に乗ったことがなかった。馬がいななき鼻息を荒くして跳ねるのを見て、震え上がらない者はいなかった。そして人に言った。「これはまさに虎ではないか。どうして馬などと呼ぶのか」。その風俗はここまで来ていた。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『顔氏家訓』勉學梁朝全盛の時、貴游の子弟、多く学術無し。諺に云うに至る、「車を上りて落ちざれば則ち著作、体中何如なれば則ち秘書」と。衣を熏じ面を剃り、粉を傅け朱を施し、長檐の車に駕し、高歯の屐を跟き、棋子の方褥に坐し、斑糸の隠嚢に憑り、器翫を左右に列ね、従容として出入し、望めば神仙の若し。明経して第を求むれば、則ち人を顧いて策に答え、三九の公燕には、則ち手を仮りて詩を賦す。爾の時に当たりては、亦た快士なり。
-
『顔氏家訓』涉務晋朝南に渡り、士族を優借す。故に江南の冠帯、才幹有る者は、擢でて令僕已下尚書郎中書舎人已上と為し、機要を典掌せしむ。其の余の文義の士は、多くは迂誕浮華にして、世務に渉らず。繊微の過失も、又た捶楚を行うを惜しむ。清高に処る所以は、蓋し其の短を護るなり。台閣の令史、主書監帥、諸王の簽省に至りては、並びに吏用に暁習し、時須を済辦す。縦い小人の態有るも、皆な鞭杖して肅督すべし。故に多く委使せらるるは、蓋し其の長を用うるなり。人毎に自ら量らず、世を挙げて梁の武帝父子の小人を愛して士大夫を疎んずるを怨む。此れも亦た眼の其の睫を見る能わざるのみ。
-
『顔氏家訓』音辭古人云う、「膏粱は整え難し」と。其の驕奢自足にして、剋励する能わざるを以てなり。吾王侯外戚を見るに、語多く正しからず。亦た内は賤しき保傅に染まり、外は良師友無きに由るが故なり。梁世に一侯有り。嘗て元帝に対して飲謔す。自ら「癡鈍」と陳ぶるに、乃ち「颸段」と成る。元帝之に答えて云う、「颸は涼風に異なり、段は干木に非ず」と。「郢州」を謂いて「永州」と為す。元帝簡文に啓報す。簡文云う、「庚辰に呉入り、遂に司隷と成る」と。此くの如きの類、口を挙ぐれば皆な然り。元帝手ずから諸子の侍読を教え、此を以て誡めと為す。
-
『顔氏家訓』教子王大司馬の母魏夫人、性甚だ厳正なり。王湓城に在りし時、三千人の将と為り、年四十を踰ゆるも、少しく意の如くならざれば、猶お之を捶撻す。故に能く其の勲業を成せり。梁の元帝の時、一学士有り、聡敏にして才有り、父の寵する所と為り、教義を失う。一言の是なるは、行路に徧く、終年之を誉め、一行の非なるは、揜蔵し文飾して、其の自ら改めんことを冀う。年婚宦に登るに及び、暴慢日に滋く、竟に言語を択ばざるを以て、周逖の為に腸を抽かれ鼓に釁らると云う。
-
『顔氏家訓』歸心梁の孝元江州に在りし時、人有りて望蔡の県令と為る。劉敬躬の乱を経て、県廨焚かるるを被り、寺に寄りて住す。民将に牛酒もて礼を作さんとす。県令牛を以て旛柱に繋ぎ、形像を屏除し、床坐を鋪設し、堂上において賓を接す。未だ殺さざるの頃、牛解けて、径ちに来たりて階に至りて拝す。県令大いに笑い、左右に命じて之を宰らしむ。飲噉して酔い飽き、便ち檐下に臥す。稍く醒めて体の痒きを覚え、爬掻して隠疹し、因って爾に癩と成り、十許年にして死せり。
-
『顔氏家訓』治家南間の貧素は、皆な外飾を事とす。車乗衣服、必ず整斉を貴ぶ。家人妻子は、飢寒を免れず。河北の人事は、多く内政に由る。綺羅金翠、廃闕すべからず。羸馬顇奴、僅かに充つるのみ。倡和の礼は、或いは爾汝す。