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顔氏家訓 / 名實

人足所履、不過數寸、然而咫尺之途、必顛蹶於崖岸、拱把之梁、每沈溺於川谷者、何哉?為其旁無餘地故也。君子之立己、抑亦如之。至誠之言、人未能信、至潔之行、物或致疑、皆由言行聲名、無餘地也。吾每為人所毁、常以此自責。若能開方軌之路、廣造舟之航、則仲由之言信、重於登壇之盟、趙熹之降城、賢於折衝之將矣。

新字:人足所履、不過数寸、然而咫尺之途、必顛蹶於崖岸、拱把之梁、毎沈溺於川谷者、何哉?為其旁無余地故也。君子之立己、抑亦如之。至誠之言、人未能信、至潔之行、物或致疑、皆由言行声名、無余地也。吾毎為人所毁、常以此自責。若能開方軌之路、広造舟之航、則仲由之言信、重於登壇之盟、趙熹之降城、賢於折衝之将矣。

書き下し

人の足の履む所は、数寸に過ぎず。然り而して咫尺の途にて、必ず崖岸に顛蹶し、拱把の梁にて、毎に川谷に沈溺する者は、何ぞや。其の傍らに余地無きが為の故なり。君子の己を立つるも、抑ま亦た之くの如し。至誠の言も、人未だ信ずる能わず。至潔の行いも、物或いは疑いを致す。皆な言行声名の、余地無きに由るなり。吾毎に人の毀る所と為れば、常に此を以て自ら責む。若し能く方軌の路を開き、造舟の航を広くせば、則ち仲由の言の信は、登壇の盟よりも重く、趙熹の城を降すは、折衝の将よりも賢れり。

現代語訳

人の足が踏む面積は、数寸に過ぎない。それなのに、ほんの短い道でも崖から転落し、一抱えほどの幅の橋でもしばしば谷川に落ちる者がいるのはなぜか。その足元の傍らに余地がないからである。君子が自分を立てるのも、やはりこれと同じである。この上なく誠実な言葉でも、人は信じないことがある。この上なく潔白な行いでも、人は疑いをかけることがある。どれも言葉と行いと評判に、余地がないからである。私はいつも人からそしられると、この点で自分を責める。もし車が並んで走れる道を開き、舟を並べた橋を広くできれば、子路の言葉の信頼は誓いの儀式よりも重く、趙熹が城を降伏させたことは敵を退ける将軍よりも優れたものになる。

解説

足が踏むのは数寸なのに、狭い道では落ちる。実際に必要な幅と、安心して歩ける幅は違う——これを人の信用に当てはめた一段です。誠実な言葉が信じられないのは、その人の言行と評判に余地がないから。ぎりぎりの信用でやっていると、少しの誤差で落ちる。「吾毎に人の毀る所と為れば、常に此を以て自ら責む」——そしられたとき、相手を責めずに自分の余地の狭さを見る。信用の設計として実務的です。約束をぎりぎりで守り続けると、一度の遅れで崩れます。余裕を持って超過し続けた人だけが、一度の失敗を吸収できる幅を持ちます。

この章句が説くこと

傍らに余地無きが故なり方軌の路を開く造舟の航を広くす信用の余裕誠実さ信頼構築

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