顔氏家訓 / 名實
近有大貴、以孝着聲、前後居喪、哀毁踰制、亦足以高於人矣。而嘗于苫塊之中、以巴豆塗臉、遂使成瘡、表哭泣之過。左右童豎、不能掩之、益使外人謂其居處飲食、皆為不信。以一偽喪百誠者、乃貪名不已故也。
新字:近有大貴、以孝着声、前後居喪、哀毀踰制、亦足以高於人矣。而嘗于苫塊之中、以巴豆塗臉、遂使成瘡、表哭泣之過。左右童豎、不能掩之、益使外人謂其居処飲食、皆為不信。以一偽喪百誠者、乃貪名不已故也。
書き下し
近ごろ大貴有り、孝を以て声に著る。前後の居喪に、哀毀制に踰ゆ。亦た以て人に高しとするに足る。而るに嘗て苫塊の中において、巴豆を以て臉に塗り、遂に瘡を成さしめ、哭泣の過ぐるを表す。左右の童豎、之を掩う能わず。益ます外人をして其の居処飲食、皆な不信と為さしむ。一偽を以て百誠を喪う者は、乃ち名を貪りて已まざるが故なり。
現代語訳
近ごろ高位の人がいて、孝行で名が知られていた。前後二度の喪において、悲しみやつれることが定めを超えていた。それだけでも人より優れているとするに足る。ところがかつて喪中の粗末な床の上で、巴豆を顔に塗って、わざと爛れさせ、泣きすぎたように見せかけた。身の回りの少年たちがそれを隠しきれなかった。そのために外の人はいっそう、この人の暮らしぶりも食事もすべて偽りだと思うようになった。一つの偽りで百の誠実さを失うのは、名声を貪ってやまないからである。
解説
「一偽を以て百誠を喪う」——顔氏家訓で最も引かれる一句の一つです。この人物は本当に孝行でした。二度の喪で定め以上に憔悴していたのだから、それだけで十分だった。にもかかわらず、顔に巴豆を塗って泣き腫らしたように見せかけた。しかも身の回りの少年たちに見られていた。結果として、本物だった部分まですべて疑われた。実績が十分にある人が、なぜ演出に手を出すのか。名声を貪ってやまないから、と顔之推は診断します。九割本物でも、一割の演出が見つかれば全体が疑われる。実績のある人ほど、この計算を誤ります。
この章句が説くこと
巴豆を臉に塗る哭泣の過ぐるを表す一偽を以て百誠を喪う演出の代償誠実
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