顔氏家訓 / 文章
沈隱侯曰:「文章當從三易:易見事、一也、易識字、二也、易讀誦、三也。」邢子才常曰:「沈侯文章、用事不使人覺、若胸憶語也。」深以此服之。祖孝征亦嘗謂吾曰:「沈詩云:『崖傾護石髓。』此豈似用事邪?」
新字:沈隠侯曰:「文章当従三易:易見事、一也、易識字、二也、易読誦、三也。」邢子才常曰:「沈侯文章、用事不使人覚、若胸憶語也。」深以此服之。祖孝征亦嘗謂吾曰:「沈詩云:『崖傾護石髄。』此豈似用事邪?」
書き下し
沈隠侯曰く、「文章は当に三易に従うべし。事を見易きは、一なり。字を識り易きは、二なり。読誦し易きは、三なり」と。邢子才常に曰く、「沈侯の文章は、事を用うるに人をして覚えざらしむ。胸憶の語の若し」と。深く此を以て之に服す。祖孝徴も亦た嘗て吾に謂いて曰く、「沈の詩に云う、『崖傾きて石髄を護る』と。此れ豈に事を用うるに似んや」と。
現代語訳
沈約はこう言った。「文章は三つの易しさに従うべきである。典拠が見て取りやすいこと、これが一つめ。字が読み取りやすいこと、これが二つめ。声に出して読みやすいこと、これが三つめである」。邢子才はいつもこう言っていた。「沈侯の文章は、典拠を使っていてもそれと気づかせない。自分の胸から出た言葉のようだ」。私は深くこの点で沈約に感服している。祖孝徴もかつて私に言った。「沈約の詩に『崖が傾いて石髄を護っている』とある。これのどこが典拠を使っているように見えるだろうか」。
解説
良い文章の基準を三つに絞った、実用的な一段です。典拠が分かりやすい、字が読みやすい、声に出して読みやすい。どれも読み手の側から見た基準で、書き手の技巧の話が一つもありません。そして最高の評価が「事を用うるに人をして覚えざらしむ」——引用していると気づかせない。教養を見せるための引用ではなく、自分の言葉に溶け込ませる。前の段で顔之推が批判した、決まり文句を並べて教養を装う態度の正反対です。資料でも提案でも、参照元を並べて権威づけるのか、自分の言葉として消化して出すのか。読み手に負担をかけない書き方が、結局は最も強いという指摘です。
この章句が説くこと
三易に従う事を用うるに人をして覚えざらしむ胸憶の語の若し読み手の負担一貫性処世
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