顔氏家訓 / 文章
文章當以理致為心腎、氣調為筋骨、事義為皮膚、華麗為冠冕。今世相承、趨本棄末、率多浮艷。辭與理競、辭勝而理伏、事與才争、事繁而才損。放逸者流宕而忘歸、穿鑿者補綴而不足。時俗如此、安能獨違?但務去泰去甚耳。必有盛才重譽、改革體裁者、實吾所希。
新字:文章当以理致為心腎、気調為筋骨、事義為皮膚、華麗為冠冕。今世相承、趨本棄末、率多浮艶。辞与理競、辞勝而理伏、事与才争、事繁而才損。放逸者流宕而忘帰、穿鑿者補綴而不足。時俗如此、安能独違?但務去泰去甚耳。必有盛才重誉、改革体裁者、実吾所希。
書き下し
文章は当に理致を以て心腎と為し、気調を筋骨と為し、事義を皮膚と為し、華麗を冠冕と為すべし。今世相い承け、本に趨り末を棄て、率ね浮艶多し。辞と理と競い、辞勝ちて理伏す。事と才と争い、事繁くして才損ず。放逸なる者は流宕して帰るを忘れ、穿鑿する者は補綴して足らず。時俗此くの如し。安んぞ能く独り違わんや。但だ泰を去り甚だしきを去るを務むるのみ。必ず盛才重誉ありて、体裁を改革する者有らば、実に吾が希う所なり。
現代語訳
文章は、道理と趣を心臓と腎臓とし、気韻と調子を筋と骨とし、事柄と意味を皮膚とし、華やかさを冠とすべきである。今の世では代々受け継いで、根本に走るといいながら末を捨て、おおむね浮ついて艶やかなものが多い。言葉と道理が競い合い、言葉が勝って道理が伏せられる。事柄と才能が争い、事柄が繁くなって才能が損なわれる。奔放な者は流れ漂って帰ることを忘れ、こじつける者はつぎはぎしても足りない。世の風潮はこのとおりである。どうして自分ひとり逆らえようか。ただ行き過ぎと甚だしさを取り除くよう努めるだけである。必ず大きな才能と重い名声があって、文体を改革する者が現れることを、私は本当に願っている。
解説
文章の要素を身体になぞらえた一段です。道理と趣が内臓、気韻が筋骨、事柄が皮膚、華やかさが冠。順序が明確で、華麗さは最も外側の飾りに位置づけられています。そのうえで当時の弊害を挙げる。言葉が道理に勝ち、事柄の多さが才能を損なう。書き手が飾りに寄っていく力学です。結びが率直で、時代の風潮に一人では逆らえない、せめて極端だけは避ける、そしていつか体裁を改革する才能ある人が現れることを願う。自分にできることの限界を認めたうえで、方向だけは示しておく。組織文化の変革についても同じ構えが要ります。
この章句が説くこと
理致を心腎と為す華麗を冠冕と為す辞勝ちて理伏す泰を去り甚だしきを去る
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