顔氏家訓 / 文章
凡為文章、猶人乘騏驥、雖有逸氣、當以銜勒制之、勿使流亂軌躅、放意填坑岸也。
新字:凡為文章、猶人乗騏驥、雖有逸気、当以銜勒制之、勿使流乱軌躅、放意填坑岸也。
書き下し
凡そ文章を為るは、猶お人の騏驥に乗るがごとし。逸気有りと雖も、当に銜勒を以て之を制すべし。軌躅を流乱し、意を放ちて坑岸を填むること勿からしめよ。
現代語訳
文章を作るのは、人が駿馬に乗るようなものである。勢いよく走る気概があるとしても、轡と手綱でそれを抑えるべきである。轍を踏み外して乱れさせ、思いのままに走って穴や崖に落ち込むようなことがあってはならない。
解説
わずか三十七字の比喩ですが、文章篇の核心です。駿馬に乗るのだから、勢いがあること自体はよい。問題は轡と手綱があるかどうか。勢いを消せとは言っていません。抑えを効かせろ、と言っている。「軌躅を流乱し」——轍を外れて乱れる、「坑岸を填む」——穴や崖に落ちる。走らせすぎた結果がこれです。書くことに限らず、勢いのある人や事業に必要なのは、勢いを削ぐことではなく、制御の仕組みを持つことです。速く走れるほど、制御装置の性能が問われる。手綱がないまま速さだけを上げると、外れたときの被害が大きくなります。
この章句が説くこと
騏驥に乗る逸気銜勒を以て之を制す制御の仕組み
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