顔氏家訓 / 勉學
校定書籍、亦何容易、自揚雄、劉向、方稱此職耳。觀天下書未遍、不得妄下雌黃。或彼以為非、此以為是、或本同末異、或兩文皆欠、不可偏信一隅也。
新字:校定書籍、亦何容易、自揚雄、劉向、方称此職耳。観天下書未遍、不得妄下雌黄。或彼以為非、此以為是、或本同末異、或両文皆欠、不可偏信一隅也。
書き下し
書籍を校定するは、亦た何ぞ容易ならん。揚雄・劉向より、方めて此の職を称するのみ。天下の書を観ること未だ遍からざれば、妄りに雌黄を下すを得ず。或いは彼は以て非と為し、此は以て是と為す。或いは本は同じくして末は異なり、或いは両文皆な欠く。一隅を偏信すべからざるなり。
現代語訳
書物を校訂するのは、たやすいことではない。揚雄や劉向のような人になって、はじめてこの職に値するのである。天下の書物をまだすべて見ていないうちは、みだりに訂正の筆を下してはならない。ある書では誤りとし、別の書では正しいとしていることもある。もとは同じで末が違っていることもあり、両方の文がどちらも欠けていることもある。一方だけを信じてはならない。
解説
校訂の心得ですが、あらゆる修正作業に通じます。「妄りに雌黄を下すを得ず」——雌黄は誤字を消すための顔料で、訂正の道具です。天下の書をすべて見ていないうちは、これを使うなと言う。挙げられている理由が実務的です。書によって正誤の判断が違う、もとは同じで末が分かれている、両方とも欠けている。つまり、目の前の一本だけを見て「間違っている」と判断できる場面は少ない。既存の仕組みやコードを直そうとするとき、それが誤りに見えるのは自分がまだ全体を見ていないからかもしれません。直す前に、なぜそうなっているかを調べる手間を惜しまないことです。
この章句が説くこと
書籍を校定す妄りに雌黄を下すを得ず一隅を偏信すべからず直す前に調べる学問学び
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