顔氏家訓 / 勉學
又三輔決錄云:「靈帝殿柱題曰:『堂堂乎張、京兆田郎。』」蓋引論語、偶以四言、目京兆人田鳳也。有一才士、乃言:「時張京兆及田郎二人皆堂堂耳。」聞吾此說、初大驚駭、其後尋媿悔焉。
新字:又三輔決録云:「霊帝殿柱題曰:『堂堂乎張、京兆田郎。』」蓋引論語、偶以四言、目京兆人田鳳也。有一才士、乃言:「時張京兆及田郎二人皆堂堂耳。」聞吾此説、初大驚駭、其後尋愧悔焉。
書き下し
又た三輔決録に云う、「霊帝の殿柱に題して曰く、『堂堂乎たり張、京兆の田郎』と」。蓋し論語を引き、偶するに四言を以て、京兆の人田鳳を目するなり。一才士有り、乃ち言う、「時に張京兆及び田郎の二人、皆な堂堂たるのみ」と。吾が此の説を聞き、初め大いに驚駭す。其の後尋いで媿じ悔ゆ。
現代語訳
また『三輔決録』にいう。「霊帝が宮殿の柱に書きつけて言った。『堂堂乎たり張、京兆の田郎』」。これは『論語』の句を引き、四字句で対にして、京兆の人である田鳳を評したものである。ある才ある士がこう言った。「当時、張京兆と田郎の二人が、どちらも堂々としていたということだ」。私のこの説明を聞いて、はじめは大いに驚いたが、その後まもなく恥じ入り悔いた。
解説
「堂堂乎張」は『論語』子張篇の句で、そこを引いた四字句です。それを知らないと、「張」を人名だと思い、張京兆と田郎の二人の話だと読んでしまう。引用と分からずに読むと、まったく別の意味になるという例です。しかもこの誤読をしたのは「一才士」——才能を認められた人物でした。教養の欠落は、能力の高さでは補えません。資料に出てくる言い回しが、どこかからの引用なのかどうか。それが分からないまま読むと、原文には書かれていない登場人物が生まれます。データや報告書の数字でも、その出どころを知らずに読むと、同じ種類の誤読が起きます。
この章句が説くこと
堂堂乎張三輔決録論語を引く引用の出どころ人物評価学問
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