顔氏家訓 / 勉學
古之學者為己、以補不足也、今之學者為人、但能說之也。古之學者為人、行道以利世也、今之學者為己、修身以求進也。夫學者猶種樹也、春玩其華、秋登其實、講論文章、春華也、修身利行、秋實也。
新字:古之学者為己、以補不足也、今之学者為人、但能説之也。古之学者為人、行道以利世也、今之学者為己、修身以求進也。夫学者猶種樹也、春玩其華、秋登其実、講論文章、春華也、修身利行、秋実也。
書き下し
古の学ぶ者は己が為にし、以て不足を補うなり。今の学ぶ者は人の為にし、但だ能く之を説くのみ。古の学ぶ者は人の為にし、道を行いて以て世を利するなり。今の学ぶ者は己が為にし、身を修めて以て進むを求むるなり。夫れ学ぶ者は猶お樹を種うるがごときなり。春に其の華を玩び、秋に其の実を登る。文章を講論するは、春の華なり。身を修め行いを利するは、秋の実なり。
現代語訳
昔の学ぶ者は自分のために学び、自分の足りないところを補った。今の学ぶ者は人のために学び、ただ人に説いてみせるだけである。昔の学ぶ者は人のために学び、道を行って世の役に立てた。今の学ぶ者は自分のために学び、身を修めて出世しようとする。学ぶというのは、木を植えるようなものだ。春にはその花を楽しみ、秋にはその実を収穫する。文章を論じ講じるのは春の花である。身を修め行いに役立てるのは秋の実である。
解説
「己が為」「人の為」を二度、意味を入れ替えて使う構文が巧みです。昔の学問は自分の欠けを補うために学び、結果として世の役に立った。今の学問は人に見せるために学び、結果として自分の出世に使われる。同じ言葉が、順序を変えるだけで正反対の意味になる。そのうえで木の比喩に移ります。花は目を楽しませ、実は食べられる。文章を論じるのは花で、行いを正すのが実だ、と。花を否定してはいませんが、花だけで終わる木は植えた意味がない。学びの成果を、見せられるもの(花)と、使えるもの(実)に分けて数えてみると、自分の偏りが見えます。
この章句が説くこと
古の学ぶ者は己が為にす春に華を玩び秋に実を登る文章は春華修身は秋実学問
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