顔氏家訓 / 慕賢
人在年少、神情未定、所與款狎、熏漬陶染、言笑舉動、無心於學、潛移暗化、自然似之、何況操履藝能、較明易習者也?是以與善人居、如入芝蘭之室、久而自芳也、與惡人居、如入鮑魚之肆、久而自臭也。墨子悲於染絲、是之謂矣。君子必愼交遊焉。孔子曰:「無友不如己者。」顔、閔之徒、何可世得!但優於我、便足貴之。
新字:人在年少、神情未定、所与款狎、熏漬陶染、言笑舉動、無心於学、潜移暗化、自然似之、何況操履芸能、較明易習者也?是以与善人居、如入芝蘭之室、久而自芳也、与悪人居、如入鮑魚之肆、久而自臭也。墨子悲於染糸、是之謂矣。君子必慎交遊焉。孔子曰:「無友不如己者。」顔、閔之徒、何可世得!但優於我、便足貴之。
書き下し
人年少に在りては、神情未だ定まらず。与に款狎する所は、熏漬陶染して、言笑挙動、学ぶに心無くして、潜かに移り暗かに化し、自然に之に似る。何ぞ況んや操履芸能の、較べて明らかにして習い易き者をや。是を以て善人と居るは、芝蘭の室に入るが如く、久しくして自ら芳し。悪人と居るは、鮑魚の肆に入るが如く、久しくして自ら臭し。墨子の糸を染むるに悲しむは、是れ之を謂うなり。君子は必ず交遊を慎む。孔子曰く、「己に如かざる者を友とする無かれ」と。顔・閔の徒、何ぞ世に得べけんや。但だ我に優らば、便ち之を貴ぶに足る。
現代語訳
人が若いうちは、心も感情もまだ定まっていない。親しく付き合う相手からは、香が移り色に染まるように影響を受け、言葉つきも笑い方も立ち居振る舞いも、学ぶ気などないのに、いつのまにか移り変わって、自然にその人に似てくる。まして身の処し方や技能のような、はっきりしていて習いやすいものはなおさらである。だから善い人と一緒にいるのは、芝蘭の香る部屋に入るようなもので、長くいれば自分も香ってくる。悪い人と一緒にいるのは、干し魚の店に入るようなもので、長くいれば自分も臭くなる。墨子が糸を染めるのを見て悲しんだのは、このことである。君子は必ず付き合う相手を慎重に選ぶ。孔子は「自分に及ばない者を友とするな」と言った。顔回や閔子騫のような人物が、そう簡単に得られようか。ただ自分より優れているなら、それで尊ぶに足るのである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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説苑・雜言孔子曰く、「其の子を知らずんば、其の友とする所を視よ。其の君を知らずんば、其の使う所を視よ」と。又曰く、「善人と居るは、蘭芷の室に入るが如し、久しくして其の香を聞かざるは、則ち之と化すればなり。悪人と居るは、鮑魚の肆に入るが如し、久しくして其の臭を聞かざるは、亦之と化すればなり。故に曰く、丹の蔵する所は赤く、烏の蔵する所は黒し。君子は蔵する所を慎む」と。
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孔子家語・六本孔子曰わく、「吾死するの後、則ち商や日々に益し、賜や日々に損せん。」曾子曰わく、「何の謂いぞや。」子曰わく、「商や、己より賢れる者と処るを好み、賜や、己に若かざる者を説ぶを好む。其の子を知らざれば、其の父を視よ。其の人を知らざれば、其の友を視よ。其の君を知らざれば、其の使う所を視よ。其の地を知らざれば、其の草木を視よ。故に曰わく、『善人と居るは、芝蘭の室に入るが如し、久しくして其の香を聞かず、即ち之れと化す。不善人と居るは、鮑魚の肆に入るが如し、久しくして其の臭を聞かず、亦た之れと化す。』丹の蔵する所は赤く、漆の蔵する所は黒し。是を以て君子は必ず其の与に処る所を慎むなり。」
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荀子・性悪篇繁弱(はんじゃく)・鉅黍(きょしょ)は古の良弓なり。然り而して排檠(はいけい)を得ざれば則ち自ら正しき能わず。桓公の葱(そう)、太公の闕(けつ)、文王の録(ろく)、荘君の曶(こつ)、闔閭(こうりょ)の干将(かんしょう)・莫邪(ばくや)・鉅闕(きょけつ)・辟閭(へきりょ)、此れ皆(みな)古の良剣なり。然り而して砥厲(しれい)を加えざれば則ち利(と)き能わず、人力を得ざれば則ち断つ能わず。驊騮(かりゅう)・騹驥(きき)・纖離(せんり)・緑耳(りょくじ)、此れ皆古の良馬なり。然り而して必ず前に銜轡(かんぴ)の制有り、後に鞭策(べんさく)の威有り、之に加うるに造父(ぞうほ)の駛(はし)らしむるを以てして、然る後に一日にして千里を致すなり。夫れ人は性質美にして心は辯知(べんち)なりと雖(いえど)も、必ず將(まさ)に賢師を求めて之に事(つか)え、良友を択(えら)びて之を友とせんとす。賢師を得て之に事うれば、則ち聞く所の者は堯舜禹湯(ぎょうしゅんうとう)の道なり。良友を得て之を友とすれば、則ち見る所の者は忠信敬讓(ちゅうしんけいじょう)の行いなり。身は日に仁義に進みて自ら知らざる者は、靡(び)の然らしむるなり。今不善の人と処(お)らば、則ち聞く所の者は欺誣詐偽(ぎぶさぎ)なり、見る所の者は汙漫淫邪貪利(おまんいんじゃたんり)の行いなり。身は且(まさ)に刑戮(けいりく)を加えられんとして自ら知らざる者は、靡の然らしむるなり。伝に曰く、「其の子を知らざれば其の友を視(み)よ、其の君を知らざれば其の左右を視よ」と。靡のみ、靡のみ。
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『顔氏家訓』勉學人は隣里親戚に佳快なる者有るを見れば、子弟をして慕いて之に学ばしむ。古人に学ばしむるを知らず。何ぞ其れ蔽えるかな。世人は但だ馬に跨り甲を被り、長槊強弓なるを見て、便ち我能く将と為ると云う。天道に明らかに、地利を辯じ、逆順を比量し、興亡を鑒達するの妙を知らざるなり。但だ上を承け下に接し、財を積み穀を聚むるを知りて、便ち我能く相と為ると云う。鬼を敬い神に事え、風を移し俗を易え、陰陽を調節し、賢聖を薦挙するの至りを知らざるなり。
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呂氏春秋・當染①墨子、素絲を染むる者を見て歎じて曰く、「蒼に染むれば則ち蒼く、黃に染むれば則ち黃となる。入る所以の者變われば、其の色も亦た變わる。五たび入るれば以て五色と為る。故に染は慎まざる可からざるなり。」
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『顔氏家訓』慕賢古人云う、「千載に一聖あるは、猶お旦暮のごときなり。五百年に一賢あるは、猶お比髆心のごとし」と。聖賢の得難きこと、疎闊なること此くの如きを言うなり。儻し不世の明達の君子に遭わば、安んぞ之に攀附景仰せざるべけんや。吾は乱世に生まれ、戎馬に長じ、流離播越して、聞見已に多し。値う所の名賢は、未だ嘗て心酔い魂迷いて之を向慕せずんばあらざるなり。