顔氏家訓 / 慕賢
古人云:「千載一聖、猶旦暮也、五百年一賢、猶比髆心。」言聖賢之難得、疏闊如此。儻遭不世明達君子、安可不攀附景仰之乎?吾生於亂世、長於戎馬、流離播越、聞見已多、所値名賢、未嘗不心醉魂迷向慕之也。
新字:古人云:「千載一聖、猶旦暮也、五百年一賢、猶比髆心。」言聖賢之難得、疏闊如此。儻遭不世明達君子、安可不攀附景仰之乎?吾生於乱世、長於戎馬、流離播越、聞見已多、所値名賢、未嘗不心酔魂迷向慕之也。
書き下し
古人云う、「千載に一聖あるは、猶お旦暮のごときなり。五百年に一賢あるは、猶お比髆心のごとし」と。聖賢の得難きこと、疎闊なること此くの如きを言うなり。儻し不世の明達の君子に遭わば、安んぞ之に攀附景仰せざるべけんや。吾は乱世に生まれ、戎馬に長じ、流離播越して、聞見已に多し。値う所の名賢は、未だ嘗て心酔い魂迷いて之を向慕せずんばあらざるなり。
現代語訳
昔の人はこう言った。「千年に一人の聖人が出るのは、朝と夕ほどの近さである。五百年に一人の賢者が出るのは、肩と肩が触れ合うほどの近さである」。聖人賢者を得ることがどれほど難しく、めったにないかを言ったものだ。もしも世にまれな、道理に明るい君子に出会えたなら、どうしてその人にすがりつき、仰ぎ慕わずにいられようか。私は乱世に生まれ、戦乱の中で育ち、流浪して各地を渡り、見聞はすでに多い。出会った名賢については、心を奪われ魂を迷わせて慕わなかったことはない。
解説
慕賢篇の冒頭です。千年に一人の聖人でさえ、歴史の尺度では朝と夕ほどの近さだ——裏を返せば、自分の一生のうちに出会える確率は限りなく低い。だからこそ、もし出会えたなら全力ですがりつけと言います。顔之推は乱世を生き延びて各地を転々とし、多くの人を見てきました。その経験から言うのは、優れた人に出会う機会は自分で作れるものではなく、来たときに掴めるかどうかだけが自分の側の問題だということです。人に学ぶ機会を、たまたま近くにいるかどうかの偶然として扱わず、稀少な資源として扱う。次の段では、その掴み方の中身が語られます。
この章句が説くこと
千載一聖五百年一賢攀附景仰稀少な出会い人物評価
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