顔氏家訓 / 風操
四海之人、結爲兄弟、亦何容易。必有志均義敵、令終如始者、方可議之。一爾之後、命子拜伏、呼爲丈人、申父友之敬、身事彼親、亦宜加禮。比見北人、甚輕此節、行路相逢、便定昆季、望年觀貌、不擇是非、至有結父爲兄、託子爲弟者。
新字:四海之人、結為兄弟、亦何容易。必有志均義敵、令終如始者、方可議之。一爾之後、命子拝伏、呼為丈人、申父友之敬、身事彼親、亦宜加礼。比見北人、甚軽此節、行路相逢、便定昆季、望年観貌、不択是非、至有結父為兄、託子為弟者。
書き下し
四海の人、結びて兄弟と為るは、亦た何ぞ容易ならんや。必ず志均しく義敵し、終わりを令くすること始めの如き者有りて、方めて之を議すべし。一たび爾るの後は、子に命じて拝伏せしめ、呼びて丈人と為し、父の友の敬を申べ、身彼の親に事うるも、亦た宜しく礼を加うべし。比ごろ北人を見るに、甚だ此の節を軽んず。行路に相い逢いて、便ち昆季を定む。年を望み貌を観て、是非を択ばず。父を結びて兄と為し、子に託して弟と為す者有るに至る。
現代語訳
世の中の人が義兄弟の縁を結ぶのは、そう容易なことではない。必ず志が等しく、義において互角であり、終わりを始めと同じように全うできる相手であって、はじめて話し合うべきことである。ひとたびそうなった後は、子に命じて拝礼させ、相手を「丈人」と呼ばせ、父の友への敬意を尽くさせる。自分も相手の親に仕えるにあたっては、やはり礼を加えるべきである。近ごろ北方の人を見ると、この筋目をひどく軽んじている。道で行き会っただけで、すぐに兄弟の順を決めてしまう。年格好と顔つきを見るだけで、相手の善し悪しを選ばない。父にあたる人と兄弟の縁を結び、子にあたる人を弟としてしまう者さえいる。
解説
義兄弟の縁を結ぶ条件を厳しく定めた一段です。志が等しく、義において互角で、最後まで変わらない相手。この三つが揃ってはじめて話に乗る。しかも結んだ後は、自分の子に相手を「丈人」と呼ばせ、相手の親にも礼を尽くす。縁を結ぶとは、次の世代まで巻き込む約束だからです。それに対して北方では、道で会っただけで年齢と顔つきで兄弟の順を決めてしまう。顔之推が批判しているのは軽率さです。提携やパートナーシップも同じで、結ぶこと自体は簡単ですが、解消のコストと、周囲に及ぶ範囲は結ぶ前に見えません。誰と組むかを決める前に、条件を言葉にしておくことです。
この章句が説くこと
四海の人結びて兄弟と為る志均しく義敵す行路に昆季を定む組む条件人倫処世
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