顔氏家訓 / 風操
凡宗親世數、有從父、有從祖、有族祖。江南風俗、自茲已往、高秩者、通呼爲尊、同昭穆者、雖百世猶稱兄弟、若對他人稱之、皆云族人。河北士人、雖三二十世、猶呼爲從伯從叔。梁武帝嘗問一中土人曰:「卿北人、何故不知有族?」答云:「骨肉易疏、不忍言族耳。」當時雖爲敏對、於禮未通。
新字:凡宗親世数、有従父、有従祖、有族祖。江南風俗、自茲已往、高秩者、通呼為尊、同昭穆者、雖百世猶称兄弟、若対他人称之、皆云族人。河北士人、雖三二十世、猶呼為従伯従叔。梁武帝嘗問一中土人曰:「卿北人、何故不知有族?」答云:「骨肉易疏、不忍言族耳。」当時雖為敏対、於礼未通。
書き下し
凡そ宗親の世数、従父有り、従祖有り、族祖有り。江南の風俗、茲より已往は、高秩の者は、通じて呼びて尊と為す。昭穆を同じくする者は、百世と雖も猶お兄弟と称す。若し他人に対して之を称すれば、皆な族人と云う。河北の士人は、三二十世と雖も、猶お呼びて従伯・従叔と為す。梁の武帝嘗て一中土の人に問いて曰く、「卿は北人なり。何が故に族有るを知らざる」と。答えて云う、「骨肉疏じ易し。族と言うに忍びざるのみ」と。当時敏対と為すと雖も、礼において未だ通ぜず。
現代語訳
およそ同族の世代の数え方には、従父、従祖、族祖の別がある。江南の風俗では、それより遠くなると、高位の者はまとめて「尊」と呼ぶ。世代の並びが同じ者は、百代を隔てていてもなお「兄弟」と称する。もし他人に対してその人を言うときは、みな「族人」と言う。河北の士人は、二十代三十代を隔てていても、なお「従伯」「従叔」と呼ぶ。梁の武帝がかつて北方出身の人に問うた。「あなたは北の人だ。どうして『族』という語があることを知らないのか」。答えて言った。「肉親は疎くなりやすいものです。『族』と言うに忍びないのです」。当時は気の利いた受け答えとされたが、礼の上では通っていない。
解説
遠縁をどう呼ぶかの南北差です。江南は遠くなれば「族人」と呼んで距離を明示する。北方は何十代離れていても「従伯」「従叔」と近しく呼ぶ。武帝に問われた北方の人は「肉親は疎くなりやすい、だから族とは言えない」と答えました。顔之推はこれを、機知としては認めつつ、礼としては通らないと退けます。理由は書かれていませんが、区別すべきものを情によって曖昧にしているからでしょう。関係を近く呼ぶことで近さを保とうとするのは、気持ちとしては分かる。しかし呼称で距離を消しても、実際の距離は消えません。むしろ、実態と呼び名がずれると、期待と現実の差が摩擦になります。
この章句が説くこと
従父従祖族祖骨肉疏じ易し礼において未だ通ぜず呼称と実態
関連する章句
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『顔氏家訓』風操若し君と言わば、色を変ずと雖も、猶お亡祖・亡伯・亡叔と云うなり。吾名士を見るに、亦た其の亡兄弟を呼びて兄子・弟子門中と為す者有り。亦た未だ安貼と為さざるなり。北土の風俗は、都て此を行わず。太山の羊侃、梁初に南に入る。吾近ごろ鄴に至り、其の兄の子肅、侃の委曲を訪ぬ。吾之に答えて云う、「卿の従門中は梁に在り、此くの如く此くの如し」と。粛曰く、「是れ我が親の第七の亡叔なり、従に非ず」と。祖孝徴座に在り、先に江南の風俗を知る。乃ち之に謂いて云う、「賢従弟門中なり、何が故に解せざる」と。
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『顔氏家訓』風操先人に言い及べば、理として当に感慕すべし。古者の易しとする所、今人の難しとする所なり。江南の人事、已むを獲ざれば、閥閲を言うを須つも、必ず文翰を以てし、面論する者有ること罕なり。北人は何ぞ無くして便ち爾く話説し、相い訪問するに及ぶ。此くの如きの事は、人に加うべからず。人諸を己に加うれば、則ち当に之を避くべし。
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『顔氏家訓』風操古人は皆な伯父・叔父と呼ぶ。而るに今世は多く単に伯・叔と呼ぶ。従父の兄弟姊妹已に孤にして、其の前に対して、其の母を呼びて伯母・叔母と為すは、此れ避くべからざる者なり。兄弟の子已に孤にして、他人と言うに、孤なる者の前に対して、呼びて兄の子・弟の子と為すは、頗る忍びずと為す。北土の人は多く呼びて姪と為す。案ずるに、爾雅・喪服経・左伝、姪は名の男女に通ずと雖も、並びに是れ姑に対するの称なり。晋世已来、始めて叔姪と呼ぶ。今呼びて姪と為すは、理において勝れりと為す。
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『顔氏家訓』風操凡そ親属の名称は、皆な須らく粉墨すべし。濫にすべからざるなり。風教無き者は、其の父已に孤なるに、外祖父母を呼ぶこと祖父母と同じくし、人をして其の聞くを喜ばざらしむ。面に質すと雖も、皆な当に外を加えて以て之を別つべし。父母の世叔父は、皆な当に其の次第を加えて以て之を別つべし。父母の世叔母は、皆な当に其の姓を加えて以て之を別つべし。父母の群従の世叔父母及び従祖父母は、皆な当に其の爵位若しくは姓を加えて以て之を別つべし。河北の士人は、皆な外祖父母を呼びて家公・家母と為す。江南の田里の間にも亦た之を言う。家を以て外に代うるは、吾が識る所に非ず。
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